近代建築・構造物危機遺産一覧凡 例 (色分けなど)
−東京都−
建物・構造物名  ( )は主に現在名年代場所設計者構 造備 考
葛飾区
旧山本栄之助邸(山本亭)改築:大正15〜昭和6年(1926〜31)葛飾区柴又7-19-32  震災後に山本家がここに移り住んだときに製瓦業者の邸宅を改造したものと思われるので、実際にはかなり古い。長屋門や当時の庭園がそのまま残っている
旧水元尋常小学校(葛飾区教育資料館)大正14年(1925)葛飾区水元4-21-1  校舎を移築したもので、都内で唯一現存する木造校舎
四ツ木橋昭和14年(1938)〜27年(1952)葛飾区四つ木3〜墨田区八広6増田淳 戦時中工事が中断している
蒸気機関車 D51 502 上千葉砂原公園昭和16年(1941)葛飾区西亀有1-27-1   
高砂橋昭和7年(1932)葛飾区青戸2〜同区高砂2地内  平成5年架け替え
高砂諏訪橋昭和36年(1961)葛飾区高砂2〜高砂1  新中川掘削工事に伴い架橋。後に人道橋を設置。架け替え計画がある
細田橋昭和35年(1960)葛飾区細田3〜細田2 5径間上路鋼鈑桁橋新中川掘削工事に伴い架橋。 昭和54年(1979)下流側に人道橋を設置。架け替え計画がある。橋長119.0m
三和橋昭和36年(1961)葛飾区細田3〜細田2 7径間上路鋼鈑桁橋新中川掘削工事に伴い架橋。 架け替え計画がある。 昭和47年(1972年)3月 下流側に人道橋を設置。橋長119m
八剣橋昭和34年(1959)葛飾区奥戸9〜奥戸8 7径間上路鋼鈑桁橋新中川掘削工事に伴い架橋された。その後、下流側に人道橋を設置。西岸の奥戸九丁目に所在する「八剣神社」から命名。橋長111.4m。 架け替え計画がある。
奥戸新橋昭和36年(1961)葛飾区奥戸9〜奥戸6 5径間単純活荷重合成プレートガーダー桁橋新中川掘削工事に伴い架橋。奥戸街道。橋長144.6m
足立区
大黒湯昭和4年(1929)足立区千住寿町32-6 木造破風作り
ラテクラブ中居町昭和15年(1940)足立区千住中居町9  NTT千住ビルの斜め向かい
旧千住郵便局電話分室昭和4年(1929)足立区千住中居町15山田守 NTT千住ビルの一角。かなり立派な建物
大橋眼科(参考物件)昭和57年(1982)足立区千住3-31  もともとあった大正6年建築のハーフティンバー様式の建物を老朽化で解体後、意匠を受け継ぎ、大正・昭和の資材をかき集めて昭和57年に作ったのが今の建物。建築年は新しいが見た目は多様なレトロ物件の集合体
千住大橋昭和2年(1927)足立区千住橋戸町〜荒川区南千住6増田淳鋼タイドアーチ橋復興橋のひとつ。親柱や電灯が復元されている。隣に昭和48年製の新橋がくっついており、真下に千住小橋というかわいい橋がかかっている
新田橋昭和36年(1961)足立区新田3〜北区豊島8 5径間単純鋼桁橋隅田川。橋脚が木造時代を模した面白いデザイン
蒸気機関車 C50 75 区立北鹿浜交通公園 昭和2年(1929)足立区鹿浜3-26-1  昭和46年(1971)まで現役
鹿浜橋昭和40年(1965)足立区新田1・2〜同区鹿浜1・2  荒川に架かる環状七号線の橋。旧名鹿浜村より
西新井橋昭和35年(1960)足立区本木・関原〜足立区千住桜木2 単純合成格子桁・ゲルバー箱桁橋尾竹橋通り(東京都道461号吾妻橋伊興町線)。 橋長: 444.6m
江戸川区
旧今井橋橋脚跡昭和26年(1951)江戸川区〜千葉県市川市  老朽化により解体。橋脚の一部が残っていて、干潮時に現れる。
市川橋昭和38年(1963・下り)
昭和42年(1967・上り)
江戸川区北小岩1〜千葉県市川市市川3 連続鋼桁複合橋江戸川。国道14号線(千葉街道)。旧名は江戸川橋。全長399m。
JR新金線中川放水路橋梁昭和34年(1959)江戸川区西小岩2〜同区上一色3 1径間単線下路ワーレントラス橋、4径間単線上路プレートガーダー桁橋新中川掘削工事により架橋。土木学会では歴史的鋼橋のひとつとしている。橋長約155.0m
上一色中橋昭和30年代江戸川区西小岩1〜上一色3 単純箱桁橋橋長119.6m。橋の老朽化が進み、大型車は通行できない。架け替え工事進捗中(2012年(平成24年度)完成予定)
JR総武本線中川放水路橋梁昭和31年(1956)江戸川区南小岩6〜上一色2国 鉄1径間複線下路ワーレントラス橋、4径間単線上路プレートガーター桁橋(並列)新中川に架かる鉄道橋で、総武緩行線。新中川掘削工事に伴い、架橋。土木学会では歴史的鋼橋のひとつ。 昭和47年(1972)に高架・複々線化のため上流側に下路コンクリートPC桁橋が架橋。橋長 - 117.2m
辰巳新橋昭和31年(1956)江戸川区南小岩6〜上一色2  新中川開削工事に伴い架橋。昭和43年(1968)歩道が増設。橋の老朽化、幅員が狭いことから江戸川区の新中川橋梁整備計画の第二弾として平成5年(1993)に架け替え
小岩大橋昭和30年(1955)江戸川区南小岩5〜興宮町 5径間カンチレバープレートガーダー桁橋新中川掘削工事に伴い架橋。橋長133.m。
松本橋昭和31年(1956)江戸川区東松本2〜松本2 単純プレートガーダー桁橋新中川掘削工事に伴い架橋。昭和45年(1970) 歩道を増設し人車分離。橋長119.4m。耐震補強予定
鹿本橋昭和29年(1954)江戸川区鹿骨6〜松本2 単純プレートガーダー桁橋新中川開削工事に伴い架橋。鹿骨街道(江戸川区道)。橋長118.4m
大杉橋昭和36年(1961)江戸川区鹿骨1〜大杉4  新中川掘削工事に伴い架橋。交通量の増加等による老朽化が著しく幅員も狭いことから、江戸川区新中川橋梁整備計画の第三弾として、平成6年(1994)に現在の場所(旧橋の上流側)に架け替えられる
一之江橋昭和35年(1960)江戸川区春江町2〜一之江1 5径間カンチレバープレートガーダー桁橋新中川掘削工事と京葉道路の開通で完成。橋長126.0m
旧椿橋昭和35年(1960)江戸川区春江町2〜一之江2  新中川掘削工事に伴い、架橋。平成9年(1997)に架け替えられ「新椿橋」と改名された
春江橋昭和35年(1960)江戸川区春江町3〜一之江3 単純プレートガーダー桁橋新中川掘削工事に伴い架橋された。橋長119.0m
明和橋昭和36年(1961)江戸川区西瑞江3〜一之江3 3径間連続下路式ブレースドレスアーチ橋昭和45年(1970)に歩道増設。橋の老朽化、幅員が狭く取り付け道路が両岸で急カーブしており、事故などがあったため、新中川橋梁整備計画の第一弾として平成4年(1992)に架け替えられ、川に斜めに架かる橋となった
瑞江大橋昭和35年(1960)江戸川区西瑞江4地内 単純プレートガーダー桁橋新中川掘削工事に伴い架橋。橋長158.5m。耐震補強予定
瑞穂大橋昭和37年(1962)江戸川区江戸川4地内 単純プレートガーダー橋×7連篠崎街道。橋長118.9m。新中川掘削工事に伴い、同河川の最下流部に架橋。平成18年(2006)架け替え工事の開始。2011年に新橋が完成すると解体される予定
荒川区
同潤会三ノ輪アパート昭和3年(1928)荒川区東日暮里2-36  今にも崩れそうなほど傷んでいる。2007年12月1日より14階建てマンションの建設着工予定となっているが、このときはまだ解体すらされてない状態
日暮里アパートメント(鶯谷アパートメント)昭和4年(1929)荒川区東日暮里5-16  1999年解体。尾久橋通り沿い。現:リーデンスタワー
風見商店 荒川区南千住1-55-4  商店街にあるレトロチックな看板つきの店舗
浅香質店 荒川区南千住1-56-9 . 豪華な三階建ての蔵あり
五ツ木株式会社 荒川区南千住6-12  やや大きな工場風。窓などを見ると結構古そうである。煉瓦塀のあとのようなものもある
恵比寿湯 荒川区南千住6-15-9  2002年頃に廃業してるが建物は現存。この付近は古い建物が複数みられる
千住製絨所跡の煉瓦塀明治12年(1879)頃荒川区南千住6-42  荒川工業高校など塀として、一部残っており、千住製絨所を興した井上省三の像などもあるが、積極的に保存されてる様子は無い
旧千住大橋郵便局 荒川区南千住6-59  南千住交差点を西路地、最初の交差点
墨田区
東武博物館(東向島駅) 墨田区東向島4-28-16   
   蒸気機関車 東武B1形 5号明治31年(1898)   開業時に輸入した機関車
   蒸気機関車 東武B1形 6号明治31年(1898)   開業時に輸入した機関車
   東武1720系デラックスロマンスカー昭和35年(1960)   特急けごん
   デハ1形5号電車大正13年(1924)    
   東武日光軌道線200形203号電車昭和29年(1954)    
   東武5700系カットモデル昭和28年(1953)   愛称ねこひげ
   ED5015号電気機関車昭和34年(1959)    
   明智平ロープウェイのゴンドラ昭和25年(1950)    
   キャブオーバーバス昭和26年(1951)    
スミノ近江屋  墨田区東向島5-32-3  看板建築。2006年3月頃解体されたらしい
須藤商店 墨田区東向島5-32-3  独特の三角屋根の塔のような建物が付属している
酒喜屋本店 墨田区東向島5-41  看板建築風
JR両国駅昭和4年(1929)墨田区横綱1 RC駅舎のほか、ホームなどが古い
旧本所公会堂(安田庭園内・両国公会堂)大正15年(1926)墨田区横綱1-12森山松之助RC4階安田庭園内の円形+ドームの建物。老朽化して使われていない
東京都震災復興記念館昭和6年(1931)墨田区横網2-3-25伊東忠太RC2階アジア風デザインを取り込んだ建築。都選定歴史的建造物
旧震災記念堂(東京都慰霊堂)昭和5年(1930)墨田区横網2-3-25伊東忠太RC3階三重塔つきの寺院建築。都選定歴史的建造物
松山ビル昭和4年(1929)墨田区緑1-16-4  茶色の建物で、遠めに見るとさほど古く感じない
旧岡田菊治郎商会(岡田商事株式会社)  墨田区両国1-11-5?  年代はよくわからないがレトロな建築物。岡田商会は鉄工関係の会社
塩原橋昭和29年墨田区両国3〜千歳1  竪川
両国小学校昭和49年(1974)墨田区両国4  復興小学校(相生尋常小学校→江東国民学校→両国小学校)時代の校舎は、昭和3年(1928)に建築され、昭和49年に解体
駆逐艦「不知火」の碇昭和初期墨田区両国4  両国小学校のそば
隅田公園駅跡 墨田区向島1  墨田公園そばの東武鉄道高架下に古い建物が残る
精工舎 墨田区太平4-1阿部美樹志 オリナスという複合施設となっている
財団法人賛育会病院昭和5年(1930)墨田区太平3-20-2  東京大空襲で外観を残して焼失。戦後修復される。改築?
旧安田銀行蓄財銀行(洋服店)大正12年(1923)墨田区石原4-26  蔵前橋通り、交差点角
旧厩橋交番(地域安全センター)昭和3年(1928)墨田区本所1-25-9  交差点角にある小さな交番建築
駒形橋交番 墨田区吾妻橋1-12-15  駒形橋東詰めの高速下のところ
向島駅跡地 墨田区八広5付近  跡地は現在も鉄道工事などで利用される
カトリック本所教会1952(昭和27)墨田区石原4-37-2  三廊式パルテノン様式
業平橋昭和3年(1928)墨田区吾妻橋3〜業平1  復興橋のひとつ。大横川に架かっていたが、橋の付近の川はふさがれていて橋の機能はない
平川橋昭和4年(1929)墨田区東駒形4〜業平1  大横川親水公園
横川橋昭和3年(1928)墨田区本所4〜横川1  震災遭難者追悼の石碑が東詰にある。大横川親水公園
紅葉橋昭和5年(1930)墨田区石原4〜横川1  大横川親水公園・かつてあった楓川という小川から名づけられた
同潤会柳島アパートメント大正15年(1926)墨田区横川5-10  同潤会建築。解体。住民による増改築がすごかったと言われる物件。現:プリメール柳島
報恩寺橋(左右部分)大正13年(1924)墨田区石原4〜太平1  復興橋? 中央部分は昭和57年架橋
清平橋昭和4年(1929)墨田区亀沢4〜太平1  復興橋。旧名清水町と大平町を結んだので
南辻橋昭和6年(1931)墨田区立川4〜江東橋5  復興橋。大横川親水公園
菊柳橋昭和5年(1930)墨田区菊川3〜江東橋5  復興橋。菊川と旧名柳原町を結んだので。大横川親水公園
西竪川橋昭和5年(1930)墨田区緑2〜立川1増田淳 復興橋。竪川
竪川橋昭和28年(1953)墨田区緑2〜立川2  竪川
新竪川橋昭和4年(1929)墨田区緑3〜立川2  復興橋・竪川
ミヨシ石鹸工場 墨田区緑3-8-12  工場南側に煉瓦壁の建物が残っている。他の建物も比較的古い
菊花橋昭和25年(1950)墨田区緑4〜立川4  竪川
新辻橋昭和5年(1930)墨田区江東橋1〜江東橋5  復興橋。竪川
松本橋昭和4年(1929)墨田区江東橋4〜江東区毛利2  復興橋。旧名松代町と本村町を結んだので。このあたりでは珍しいトラス橋・竪川
錦糸堀公園昭和25年(1950)墨田区江東橋4-17-1   
枕橋昭和3年(1928)墨田区吾妻橋1〜向島1  復興橋。北十間川
小梅橋昭和28年(1953)墨田区吾妻橋3〜向島1  昭和4年に復興橋として架けられるが昭和28年に架け替え・北十間川
押上橋跡 墨田区業平4〜押上1付近  戦災で消失。最近まで遺構があったらしい。すぐ隣の西十間橋は復興橋だったが戦災で壊れ、その後出来た橋は、昭和38年まで残っていた墨田区最後の木橋だった・北十間川
十間橋昭和14年(1939)墨田区業平5〜文花1  北十間川
綾瀬橋昭和36年(1961)墨田区堤通2・墨田5〜足立区千住曙町  旧綾瀬川
旧小山家住宅(立花大正民家園) 墨田区立花6-13-17   
白鬚橋昭和6年(1931)墨田区堤通1,2〜荒川区南千住3・台東区橋場2増田淳下路式ブレースドリブドタイドアーチ橋隅田川に架かる復興橋。俗称ワニ橋
旧吾妻橋駅跡(業平橋駅)地上ホーム・貨物ヤードなど 墨田区押上1  半蔵門線接続により廃止。すみだタワー建設予定地でかなり消滅する予定
東武伊勢崎線隅田川鉄橋昭和6年(1931年)墨田区〜台東区田中豊複線中路カンチレバーワーレントラス。鋼・RC隅田川。別名花川戸鉄道橋
同潤会中之郷アパートメント大正15年(1926)墨田区押上2-12-7  同潤会最初の物件。日本近代アパートの祖。1988年解体。現:セトル中之郷
江東区
旧村林商店(佐賀町スタジオ)昭和4年(1929)江東区佐賀1-8-7 RC3階半円柱状の独特のデザインをしたビル
旧東京米穀取引所(食糧ビルディング)昭和2年(1927)江東区佐賀1-8-13  2003年頃解体
佐賀町スタジオそばのモルタル住宅 江東区佐賀1-15  佐賀町スタジオの斜め向かい付近。モルタルの住宅。空き家?
白い看板建築 江東区佐賀1-1-7  店舗名は不明
池田商店 江東区佐賀1-11  看板建築風
日本救命器具 江東区佐賀1-1-4   
小林菓子店 江東区永代2-11-5  看板建築風
マルゼンビル昭和34年(1959)江東区亀戸6-59-9 4階 
東京海洋大学越中島会館昭和8年(1933)江東区越中島2-1-6 RC2階登録文化財
東京海洋大学1号館昭和7年(1932)江東区越中島2-1-6 RC3階登録文化財・裏側のみ撮影
東京海洋大学事務局管理棟昭和7年(1932)江東区越中島2-1-6 RC2階登録文化財・道路側のみ撮影
東京海洋大学観測台明治36年(1903)江東区越中島2-1-6 煉瓦造登録文化財・上部のみ撮影
東京海洋大学職員会館詳細不詳江東区越中島2-1-6 木造2階 
明治丸明治7年(1874)江東区越中島2-1-6  重要文化財。日本に現存する最古の帆船で、イギリスで建造
東京市営古石場アパート大正12〜15年(1923〜1926)江東区古石場2-14 RC大正時代のアパート物件
三野村合名会社社屋昭和2年(1927)江東区清澄2-8   
同潤会東大工アパートメント(清砂通アパートメント)昭和2年〜昭和4年(1927〜1929)江東区白河〜三好  清澄通り沿いに4ブロック16棟663戸という巨大アパート群として建設された。交差点角にたつ1号館は丸い屋上を持つランドマーク的建造物だった。2002年頃までにほぼ解体。1号館は復元の話もあるらしい
清洲寮昭和8年(1933)江東区白河1-3-13   
白河の事務所 江東区白河   
紀長伸銅所赤煉瓦工場明治34年(1901)江東区白河2-22 煉瓦造解体
旧深川食堂(江東区第三あすなろ作業所)昭和7年(1932)江東区門前仲町1-19   
原田時計店 江東区門前仲町2-3  看板建築
深川不動燈明塔明治28年(1895)江東区富岡1-17-13   
旧新大橋親柱明治45年江東区新大橋1-2  東詰公園
ベニサンスタジオ昭和32年(1957)頃江東区新大橋2−17  染色会社である紅三の旧工場でを利用して、演劇空間「ベニサンピット」と「ベニサンスタジオ」を運営していた。演劇界では有名だった施設。惜しまれつつ解体
春海橋臨港線鉄橋(東京都港湾局専用線晴海線跡) 江東区豊洲2−江東区晴海1  単線の鉄橋と、晴海側の工場敷地内、豊洲側の春海橋公園に線路跡が少しある
小名木川貨物駅昭和4年(1929)江東区北砂2-15  総武本線貨物支線。2000年12月に廃止。ただし待避線は残っていて、信号場扱いとなっている。都営地下鉄大江戸線の車両を運んだこともある
葛西橋昭和38年(1963)江戸川区西葛西2〜江東区東砂6 補剛ゲルバー桁荒川および中川にかかる橋で、東京都道10号東京浦安線と東京都道475号永代葛西橋線(葛西橋通り)を通す。橋長 280m。旧葛西橋は昭和3年に架けられたが昭和25年に崩壊、その後、木製の橋が架けられたが、今の橋が出来ると解体された
同潤会猿江裏町共同住宅(住利共同住宅)・善隣館昭和2年〜昭和5年(1927〜1930)江東区毛利1〜住吉1  同潤会の中で、震災復興事業ではなくスラム再開発のために作られたアパート。平成3年にあそか病院とともに解体され、ツインタワー住利となる
同潤会東町アパートメント昭和4年(1929)江東区毛利1-5  詳細不明。ツインタワー住利となった?
あそか病院棟 江東区住吉1  平成3年に住利共同住宅とともに解体され、ツインタワー住利となる。あそか病院は近くで運営
越中島貨物駅昭和33年(1958)江東区塩浜二丁目18-3  かつては貨物駅だったが、現在は東京レールセンター(短いレールをつないで長くする工場)の専用駅。1990年までは越中島駅と呼ばれていたが、京葉線の西越中島駅(仮称)を地元住民の意向で越中島駅にしたため、こちらは越中島貨物駅としたという。貨物は辞めているが名前はそのまま。近くの東京地下鉄の車両基地にもつながっていた
萬年橋昭和5年(1930)江東区常盤一丁目、南岸は江東区清澄一丁目と二丁目鹿島組1径間下路ソリットリブタイドアーチ橋、鉄筋コンクリート床鈑復興橋か。小名木川にかかる。橋長: 56.25m。江東区道第3124号線(萬年橋通り)。修理中
中央区
日本橋明治44年(1911)中央区日本橋1〜日本橋室町1 石造り重要文化財。日本中の道路の基点となる場所であり、日本国道路元標のプレートがはめられている。現在の橋は19代目にあたる。上に首都高速道路都心環状線があるため、景観は非常に悪い。そのため、地元や小泉元首相らによって首都高の撤去移転運動があるが、莫大な資金がかかることなどから石原都知事は、保存したければ日本橋の方をよその川へ移せばよい、と言ったこともある。もっとも、文化財の上に現役の国道でもあるため、日本橋を移転するにも相当な費用と流通への影響があると思われる
首都高速道路都心環状線日本橋付近昭和38年(1963)〜39年中央区日本橋1〜日本橋室町1 RC下の日本橋の景観を回復させるために、撤去し、移転(別の場所へ高架や、地下化するなど)の運動もある。一方で、オリンピックに合わせて突貫工事で作られたことから、その歴史的過程や技術力を評価して、建築史的に残すべきだとする学者もいる
西河岸橋大正14年(1925)中央区日本橋1〜日本橋室町1  外装は修復されているので新しい
旧村井銀行(日本橋東海ビル→日本橋御幸ビル)大正2年(1913)中央区日本橋1-5吉武長一 村井銀行は村井財閥の系列で、現在のビルの裏側に、旧銀行の入り口の一部がはめ込まれている
野村證券本店(日本橋野村ビル)昭和5年(1930)中央区日本橋1-9-1 RC米軍接収後、ホテルとして使用。返還後に拡張されている
三菱倉庫江戸橋倉庫(三菱倉庫)昭和5年(1930)中央区日本橋1-19-1 RC船を思わせる丸みのある外観。非常に貴重な建物だが、解体計画がある
海運橋親柱明治8年(1875)中央区日本橋1-20〜日本橋兜町3  震災で壊れた石橋時代の名残
高島屋東京店昭和8年(1933)中央区日本橋2-4-1 RC百貨店建築では初めて重要文化財に指定された。戦後の増築部分もあるが、デザインを合わせているため、非常に見栄えが良い
旧川崎銀行本店(日本信託銀行本店・川崎定徳本館)元は昭和2年(1927)中央区日本橋3-1-8  平成元年に今のビルに。昔のビルの入り口付近が再現されているほか、下層階はレトロ調
新日東ビル昭和39年(1964)中央区日本橋3-3-5 7階 
誠ビル 中央区日本橋3-4  詳細は良くわかりませんが、かなり古いデザインのビルです。残ってます
両国橋昭和7年(1932)中央区東日本橋2〜墨田区両国1  三大ゲルバー橋のひとつ。前の両国橋は関東大震災ではあまり壊れずにすんだが、壊滅したほかの橋梁の復興に合わせてデザインを一新し、建設された。そのとき解体された旧両国橋の一部は、そのまま南高橋建設に使われ、現在も現役で残っている
岡野ビル大正15年(1926)中央区東日本橋2-15  平成15年6月に解体
玉置文治郎商店(玉置薬局) 中央区東日本橋2-16-8   
旧メリヤスビル(合名会社ニ興)昭和2〜3年ころ中央区東日本橋3-6-2付近  傷みがひどくなっている
増田ビル 中央区東日本橋2-27  柳橋の南詰たもと道路沿い
装粧会館ビル昭和35年(1960)中央区東日本橋2-27-7  7階
柳 橋昭和3年(1928)中央区東日本橋2〜台東区柳橋1 下路式アーチ橋復興橋のひとつ。神田川。永代橋をモデルにしたと言われる小型のアーチ橋で、全体的に緑色に塗られている
日本橋ビル昭和35年(1960)中央区日本橋室町1-1-5 5階 
三越本店昭和2年(1927)中央区日本橋室町1-4-1横河民輔RC7階地下1階都選定歴史建造物。百貨店建築の代表格だが、増築を繰り返しているが、
旧三井本館(三井住友銀行東京支店)昭和4年(1929)中央区日本橋室町2-1-1 RC5階重要文化財
三井北三号館 中央区日本橋室町2-1-1  1999年、三井北三号館、三井東三号館とともに解体されて、日本橋三井タワーへ
三井東三号館 中央区日本橋室町2-1-1  1999年、三井北三号館、三井東三号館とともに解体されて、日本橋三井タワーへ
三井中三号館昭和14年(1939)中央区日本橋室町2-1-1  1999年、三井北三号館、三井東三号館とともに解体されて、日本橋三井タワーへ
旧森五ビル(近三ビル)昭和6年(1931) 中央区日本橋室町4-1-21村野藤吾RC8階都選定歴史建造物。一見、普通のビルに見えるが、これが出来た当時は、逆に珍しかったと思われる。
日本銀行本店明治29年(1886)中央区日本橋本石町2-1-1辰野金吾煉瓦石張り重要文化財
旧東京市常盤尋常小学校(中央区立常盤小学校) 昭和4年(1929)中央区日本橋本石町4-4-26  都選定歴史的建造物
東京都道首都高速4号分岐線昭和38年(1963)中央区日本橋本石町1〜日本橋小網町1  1963年12月21日。0.6km
山吉証券昭和7〜8年(1932〜1933)中央区日本橋兜町1  会社は破産。日証館の並び
日証館昭和3年(1928)中央区日本橋兜町1-10 RC 
郵船兜町ビル 中央区日本橋兜町3-5  高速沿い。表は新しい壁で覆っているが、本体は昔のまま。裏側と横から古い建物がわずかに確認できる
金万証券(日本アジア証券)昭和2年(1927)中央区日本橋兜町3  マンションらしきものに……
旧伊藤銀証券(エース証券) 中央区日本橋兜町3  マンションらしきものに……
山丸証券大正12年(1923)?中央区日本橋兜町3-11  建替え。海運橋のあった場所の隣。第一国立銀行跡地付近
山二証券大正末期中央区日本橋兜町4-1 RC 
成瀬証券昭和10年(1935)中央区日本橋兜町4-2 RC 
兜ビル昭和39年(1964)中央区日本橋兜町14-10 9階 
阪本小学校昭和3年(1928)中央区日本橋兜町15-18  復興小学校
第2井上ビル 中央区日本橋茅場町2-17-13  亀島川のほとり。ドラマのロケ地になったことも
旧松井証券 中央区日本橋茅場町1-2   
旧大沢証券 中央区日本橋茅場町1-2  2006年頃に解体か?
七十七銀行日本橋支店 中央区日本橋茅場町1-5  解体?
茅場町第3長岡ビル昭和35年(1960)中央区日本橋茅場町2-7-10 10階 
村松テープ 中央区日本橋馬喰町1-11-10  建物自体はさほど目立つ特徴は無いが、壁に紋章のようなレリーフがある
馬喰町ビル 中央区日本橋馬喰町1-11   
大洋ビル昭和35年(1960)中央区日本橋馬喰町2-5-11 5階 
日本橋女学館中高等学校昭和8年(1933)中央区日本橋馬喰町2-7-6   
浅草橋昭和5年(1930)中央区日本橋馬喰町2・東日本橋2〜台東区浅草橋1・柳橋1  浅草寺の門前橋(浅草橋御門)に位置するが、浅草からは2kmも離れてる
イーグルビル 中央区日本橋馬喰町1-13  細縦長の窓と直線的なライン以外、装飾がほとんど無い非常にシンプルなデザイン
東陽ビル 中央区日本橋横山町4-10  正体の良くわからない青緑色のビル。塔屋やアーチ窓のデザインがレトロ
海渡ビル大正13年(1924)?中央区日本橋横山町6-10  正体が良くわからないビル。改装されてる模様
ICHIOKUMARKET PART2 中央区日本橋横山町7-16  煉瓦風。全体的なデザインは古い感じがする。ビル名は不明
細谷商店 中央区日本橋横山町8-7   
第一コスガビル昭和5年(1930)中央区日本橋横山町9-9  2006年9月解体。惜しむ声が多かった建物
丸善ビル 中央区日本橋横山町10-10   
株式会社原利商店 中央区日本橋横山町10-10  タイル看板建築
内藤商事 中央区日本橋横山町10-13  タイル壁、アーチ風の枠。高度成長期くらいか
岩崎商事株式会社 中央区日本橋大伝馬町2-9  解体
株式会社江戸屋大正13年(1924)中央区日本橋大伝馬町2-16   
山一機業株式会社 中央区日本橋大伝馬町町4  解体されて駐車場となる
フクダ工業 中央区日本橋大伝馬町4-7  銅板建築
カフェCOTTO 中央区日本橋大伝馬町  2階の壁にレリーフと縁飾り
旧東京市十思尋常小学校(十思スクエア)昭和3年(1928)中央区日本橋小伝馬町5-1  復興小学校。曲面構造が特徴。都選定歴史的建造物
十思公園昭和5年(1930)中央区日本橋小伝馬町5-2  復興公園。時の鐘などが現存
堀留町スクラッチタイルビル 中央区日本橋堀留町1-2  かなり長期にわたって空ビルになっているようで、名前は不明
中村商店など3軒 中央区日本橋堀留町1-2  銅板建築
看板建築など3軒 中央区日本橋堀留町1-4  看板建築
嘉 門 中央区日本橋堀留町1-6-9  看板建築。隣に銅板建築もある
旧川崎貯蓄銀行富沢町支店(ハリオグラス)昭和7年(1932)中央区日本橋富沢町9-3  旧常陽銀行東京支店・同堀留支店、登録文化財
高柳豆腐店 中央区日本橋人形町1-8   
オギハラ美容室 中央区日本橋人形町1-11   
車 庫 中央区日本橋人形町1-11   
喫茶店るぴなす〜ヲガタ時計店 中央区日本橋人形町1-12   
魚久水天宮店 中央区日本橋人形町1-15   
中島米穀店 中央区日本橋人形町1-16   
旅館鴻生館 中央区日本橋人形町1-16   
佐野時計店 中央区日本橋人形町1-16-10   
Coffeeぶるぼん 中央区日本橋人形町2-1-4   
壽堂京菓子司 中央区日本橋人形町2-1-4  角の独特の建築物
クリーニングヒノデ 中央区日本橋人形町2  解体
日 山(すき焼き割烹) 中央区日本橋人形町2-5  隣に銅板建築らしきもの
天 龍 中央区日本橋人形町2-6   
歯科多和田 中央区日本橋人形町2-7  明朗の向かい
明 朗 中央区日本橋人形町2-8  歯科多和田の向かい
加島商店 中央区日本橋人形町2-7   
旧伊勢龍商店(ブルーミング中西名花館)昭和2年(1927)中央区日本橋人形町3-2-8  2007年12月から取り壊し
日本橋TECビル昭和37年(1962)中央区日本橋人形町3-3-10 9階 
(株)一誠 中央区日本橋人形町3-4   
旧井筒屋(末広亭) 中央区日本橋人形町3-7-8  銅板壁
永楽屋 中央区日本橋蛎殻町1-6  看板建築
キッチン中村 中央区日本橋蛎殻町1-9-4  銅板建築。解体された様子
木村湯 中央区日本橋蛎殻町1-19-2 木造解体されたようだ
(株)堀善商会 中央区日本橋蛎殻町1-19-6   
富国印刷? 中央区日本橋蛎殻町1-20   
焼肉清香園 中央区日本橋蛎殻町1-26   
岩崎ビル昭和38年(1963)中央区日本橋蛎殻町1-28-4 5階 
小川歯科 中央区日本橋蛎殻町1-29  レトロなデザイン。この横並びの家2軒ほども古い
ゾートスサロンヒラサワ 中央区日本橋蛎殻町1-29  小川歯科並びの別の角
日清製粉晴東寮 中央区日本橋蠣殻町1-33 3階スクラッチタイル風
銅板建築店舗 中央区日本橋蛎殻町1-38  店舗名不明
桃乳舎 中央区日本橋小網町13  洋館風の喫茶店
商店建築・銅板建築3店舗(同じ造り) 中央区日本橋小網町13  同じ街区の日本橋川側
日清製粉小網町ビル昭和20年代頃??中央区日本橋小網町19  一見今のビルに見えるが造りは古い感じ
東栄塩業(株) 中央区日本橋小網町   
塩元売協同組合 中央区日本橋小網町   
喜代川昭和2年(1927)中央区日本橋小網町   
大勝軒 中央区日本橋本町1-3   
鳥 萬 中央区日本橋本町1-4   
ダヴィンチ日本橋本町(旧:日本橋大和(だいわ))ビル昭和36年(1961)中央区日本橋本町1-9-4 10階 
東京都道首都高速1号線昭和38年(1963)中央区日本橋本町2〜京橋3  1963年12月21日開通。1.9km
甘糟ビル昭和39年(1964)中央区日本橋本町3-4-5 10階 
篠崎ビル昭和36年(1961)中央区日本橋本町4-1-5 5階 
ヘヤーサロンくぼた 中央区日本橋本町4-8  看板建築
KN日本橋(共同室町)ビル昭和39年(1964)中央区日本橋本町4-8-17 10階 
松 楽 中央区日本橋本町4-14   
そば立花 中央区日本橋本町4-15   
清洲橋昭和3年(1928)中央区日本橋中洲〜江東区清澄1鈴木精一 復興橋・自碇式鋼鉄製吊り橋。重要文化財
コンタツビル昭和39年(1964)中央区八重洲1-1-8 9階 
一石橋親柱大正11年(1922)中央区八重洲1-11〜日本橋本石町1  RC橋時代の親柱が現存。名前の由来は橋の両岸に「後藤家」があったため、後藤(五斗)×2=一石という洒落だったといわれる
三井住友銀行東京中央支店昭和27年(1952)中央区八重洲1-3前川國男 解体か??
不二ビル昭和33年(1958)中央区八重洲1-5-3 9階 
寺田ビル 中央区八重洲1-5-12   
福清ビル昭和35年(1960)中央区八重洲1-6-19 10階 
丸万ビル 中央区八重洲2-10-7  レンガ壁風
旧東京市城東尋常小学校(中央区立城東小学校)昭和4年(1929)中央区八重洲2-2-2  復興小学校のひとつ
八重洲龍名館ビル昭和38年(1963)中央区八重洲   
新八重洲ビル昭和36年(1961)中央区京橋1-7-10   
明治屋京橋ビル昭和8年(1933)中央区京橋2-2-8曾禰中條建築事務所 隣接敷地に超高層ビルを建設する計画があるが、京橋ビルは今のところ保存され、低層棟を隣接させて景観にも配慮する予定
YSビル昭和39年(1964)中央区京橋2-3-4 6階 
昭和ビル昭和38年(1963)中央区京橋2-8-18 10階 
明治ビル(明治製菓ビル)昭和8年(1933)中央区京橋2  2004年に新本社ビルが出来ている
片倉ビル大正11年(1922)頃中央区京橋3-1  玄関付近などは非常に重厚で凝ったつくりになっている
富士ビル 中央区京橋3-3-2  MAKOTOシアター銀座という劇場が入っている
京橋の親柱 中央区京橋3-5、銀座1-2、同1-11  とんがっている大きなものは大正11年のもの。京橋本体は1959年に京橋川が埋め立てられた際に撤去されている
京栄ビル昭和32年(1957)中央区京橋3-5-3 5階 
東京都道首都高速1号線 中央区京橋3〜港区海岸3  1962年12月20日完成。4.5km
東京都道首都高速2号線 中央区銀座8〜港区東新橋1  1964年8月2日完成。0.3km
東京都道首都高速8号線 中央区銀座1  1966年7月1日完成。0.1km
旧銀座アパートメント(奥野ビル)昭和7年(1932)中央区銀座1-9ー8川元設計事務所 スクラッチタイル
丸美屋ビル昭和38年(1963)中央区銀座1-19-13 9階 
中村畳店 中央区銀座1-20   
宮脇ビル 中央区銀座1-20-17   
喫茶グローリー・立ちのみ夢や・閑々堂 中央区銀座1-22-12   
岩瀬博美商店 中央区銀座1-28-14   
鈴木ビル昭和4年(1929)中央区銀座1-28-15新定蔵 都選定歴史的建造物。ファサード、テラコッタ、スクラッチ、マンサード屋根など多種なデザイン
愛法ビル 昭和4年(1929)中央区銀座1-8  愛知法律事務所の略?2008年初め頃解体
旧並木座(三木ビル)昭和11年(1936)頃中央区銀座2-3-5  銀座を代表する映画館だった
越後屋ビル昭和6年(1931)中央区銀座2-6-5小川千之助 ファサードは一部を残してなくなっている→その後、2007年後半頃に全て解体
吉田第1ビル昭和37年(1962)中央区銀座2-6-15 9階 
日柴ビル 中央区銀座2-8-2?  ヨネイビルの隣。年代不明
岩尾ビル昭和38年(1963)中央区銀座2-8-5  8階
ヨネイビルディング昭和4年(1929)中央区銀座2-8-20森山松之助 都選定歴史的建造物
赤い銀座ビル 中央区銀座2-9  赤いビルで正体不明。縦長窓、レリーフの痕跡のようなものがある。銀座ビルと言う看板が付いている
竹田ビル昭和7年(1932)中央区銀座2-11-6 5階増築で屋根瓦をつけた個性的なビル
銀座歌茶屋ビル昭和34年(1959)中央区銀座2-11-13 7階 
酒蔵秩父錦 中央区銀座2-13   
銅板壁の町工場 中央区銀座2-15   
旧菊正ビル(平和生命館)昭和7年(1932)中央区銀座3-2-16国枝博  
銀座ビル(旧東邦生命保険相互会社〜旧第一徴兵保険)昭和6年(1931)中央区銀座3-3-1徳永庸 2003年解体。古典様式のビルで、人気があり、銀座を代表する建物のひとつだったため、保存が惜しまれた
旧日本酸素本社(松屋東別館) 中央区銀座3-7-9 RC4階 
巴川ビル大正13年(1924)中央区銀座3-7-1 5階第14回BELCA賞(平成16年度リフォーム部門)を取ってる。一部解体?
東銀2ビル昭和37年(1962)中央区銀座3-10-15 6階 
美術家会館ビル昭和37年(1962)中央区銀座3-10-19 7階 
ニュー銀座ビル昭和39年(1964)中央区銀座3-11-1 10階 
旧服部別館(和光並木通り売場)昭和13年(1938)中央区銀座4-3清水組  
名古屋商工会館 中央区銀座4-3-6   
教文館・聖書館ビル昭和8年(1933)中央区銀座4-5-1アントニン・レーモンドSRC9階デザインは非常にシンプル
三原ビル昭和29年(1954)中央区銀座4-8-4 7階路地に面した横長のビル
旧服部時計店(和光ビル)昭和7年(1932)中央区銀座4-5-11渡辺仁RC7階銀座4丁目の角にたつ、日本でもっとも有名なレトロビル。時計塔と曲面が特徴的。戦後は米軍に接収されて、PXとなっていた。文化財には指定されていない
歌舞伎座大正14年(1925)中央区銀座4-12-15岡田信一郎RC4階1921年に火災で焼失した二代目歌舞伎座(初代を改装したもの)を再建する途中、関東大震災で大破。何とか建設を再開して1925年に開場したのが、三代目歌舞伎座になる。この三代目は、1945年3月の東京大空襲により外観を残して全焼。1949年、廃墟と化していた歌舞伎座を修復再建したのが、現在の四代目歌舞伎座にあたる。そのため実質的には三代目と四代目は同じ建物。登録文化財にもかかわらず、老朽化とバリアフリー対策を理由として解体し高層ビルへ建替える予定。建て替え後は、前面の低層劇場の入り口付近のみ簡単な桃山様式風にすると見られるため、事実上、現在の歌舞伎座の建物は消滅することになる。この案には古い建造物に冷淡な対応が多い石原都知事の意向があったとも言われる
鳥羽洋行ビル昭和7年(1932)頃中央区銀座4-12-13清水組  
泰明小学校昭和4年(1929)中央区銀座5-1-13  復興小学校。都選定歴史的建造物
ソニービル1966年(昭和41)中央区銀座5-3-1芦原義信SRC8階・地下5階 
西銀座ビル昭和11年(1936)頃中央区銀座5-5-5  2006年2月頃解体
坂口ビル1950年代?中央区銀座5-5-13  文藝春秋銀座別館となり
秀吉ビル昭和3年(1928)中央区銀座5-5-14三沢良三RC4階2005年解体
東洋精米機ビル昭和38年(1963)中央区銀座5-10-13 9階 
旧日本エタニットK.K.ビル(三笠会館東銀座店・足立鋼業ビル)昭和6年(1931)中央区銀座5-12-6和田順顕RC5階2002年解体・スペイン風
香蘭社ビル昭和2年(1927)頃中央区銀座5-12-12 RC4階 
改造社ビル 中央区銀座5-13-18  三原橋交差点付近で残る数少ないレトロなビル。デザインは異なるが2棟並びで同じ形をしている
数寄屋ビル昭和37年(1962)中央区銀座6-3-12 10階 
海洋ビルヂング不明(昭和初期?)中央区銀座6-4-11  建築年代、設計者不明のビル・電通銀座ビルの斜め向かい
銀座いすゞビル 中央区銀座6-5  電通銀座ビルの向かい。時代は良くわからないが部分的に古いところがある
瀧山町ビルヂング昭和3年(1928)中央区銀座6-7-12  交詢社ビルの隣に立つ大きなビル。完成当時の地名が銀座ではなく瀧山町だったためこの名前になった。増改築が繰り返されて、完成当時の姿は無く、つぎはぎだらけの老朽化した姿が目立っていたが、ファサードには立派なレリーフが飾られていた。しかし、残念ながら解体が決まる
交詢ビルヂング(交詢社)昭和4年(1929)中央区銀座6-8-3横河時介 交詢社は、福沢諭吉が提唱して慶応大学OBを中心に興された政財界の社交倶楽部。初代の建物は関東大震災で焼失したため、1929年に新しく建設された。二代目はゴシック様式の特徴的な建物で、建築学界の反対などもあったが、交詢社の撤退と老朽化を理由に2002年に解体。2004年に竣工した三代目のビルに二代目のファサードのみ現存しているが、三代目のガラスビルとはかなり違和感があり、はめ込み保存状態で往年の趣は一切残ってない。非常に惜しまれた建物のひとつ
尾張町ビル昭和8年(1933)中央区銀座6-8-3  英國屋が入っている。低層部分の石造り風に、縦長窓という昭和初期らしいデザイン
都電のレール 中央区銀座6ー9   黒沢ビル北側の外壁
銀緑館(第一銀緑ビル)大正13年(1924)中央区銀座6-11-10松岡某 古書籍・古書画販売の思文閣東京支社が入っていて、建物も商売もレトロ
株式会社倭兄弟商会不明中央区銀座6-12-11  2007年初頭までに解体
日産銀座本社昭和43年(1968)頃中央区銀座6-17-1  本社が横浜に移転
電通銀座ビル昭和9年(1934)中央区銀座7-4-17  時代の割にはデザインはシンプル。星の紋章あり
並木通り共同建築 中央区銀座7-6 木造3階火災で焼失・マンサード屋根(ギャンブレル屋根?)
旧丸嘉商店(丸嘉ビル)昭和4年(1929)中央区銀座7-7-1森山松之助RC3階老舗の貴金属店ピアジェが入っていて、建物のデザインとあいまっておしゃれな感じがする
旧菅原電気商会(第一菅原ビル)昭和8年(1933)1934?中央区銀座7-7-11吉田享二RC5階3階までの改装した赤茶色の外壁、4階、5階の黒っぽく変色した元々のスクラッチタイル部分、6階の増設した白い部分と三色三様な外観を持つビル
植松ビル昭和35年(1960)中央区銀座7-8-5 10階 
ライオン銀座七丁目ビル昭和9年(1934)中央区銀座7-9-20菅原栄蔵 外観は改装されているため、あまり古い感じがしない
磯部ビル 中央区銀座7-13-22  十割蕎麦郷。小さなビル
銀座七丁目銀ビル昭和35年(1960)中央区銀座7-15-18 8階 
たてべ 中央区銀座7   
旧新田帯革製造所東京出張所(新田ビル)昭和5年(1930)中央区銀座8-2-1  解体
ボルドー 昭和2年(1927)中央区銀座8-10-7奥田謙次木造2階銀座最古の著名なバー。つたが絡んで建物はほとんど見えない
銀座8丁目10番ビル昭和37年(1962)中央区銀座8-10-8 9階 
銀座大和ビル昭和39年(1964)中央区銀座8-11-1 9階 
中銀カプセルタワービル昭和47年(1972)中央区銀座8-16-10黒川紀章RC13階一部屋一部屋がキューブ状になっていて、それをつけたりはずしたりできるようになっている奇抜な構造のビル。解体予定
東京高速道路株式会社線1959年〜1964年中央区銀座  銀座を囲むように延びる高速道路で、首都高速とつながっているが、別の道路。しかもこの路線は高架下に店舗を入れてそのテナント料で収入を得ているため、基本通行料は無料。1959年6月〜1964年7月に建設
資生堂パーラー本店ビル昭和37年(1962)   2001年頃建替え
阪和別館ビル昭和35年(1960)中央区新富1-7-4 9階 
第二帝興ビル大正14年(1925)中央区新富1-12  2002年頃解体
正金アパート昭和6年(1931)中央区新富1-17  当初からアパートとして建設された建物と言われている
山下ビル昭和35年(1960)中央区新富1-17-4 6階 
ハコネビル昭和37年(1962)中央区新富1-17-8 5階 
喜久屋ビル(全国石油会館)昭和3年(1928)中央区新富2-4-2  森田製薬回効散本舗本社→森田製薬本社→海運ビルなど。2006年頃解体
旧松竹キネマ本社(築地菊栄ビル)昭和2年(1927)中央区新富2-7-8  菊正宗酒造東京本店などが入居
中華料理三久 中央区新富   
スナック毛梨 中央区新富  タイル風
川島産業 中央区新富   
栄屋商店 中央区新富   
カレーハウス 中央区新富  銅板壁
中央金属 中央区新富   
明治第2ビル昭和33年(1958)中央区入船3-2-7 6階 
第2長岡ビル昭和39年(1964)中央区八丁堀2-8-5  10階
株式会社友醸社 中央区八丁堀2-14-4   
ヤブ原ビル昭和36年(1961)中央区八丁堀2-14-4  上と同じ??
三福ビル昭和5年(1930)中央区八丁堀3-11-9  シンプルなデザイン
旧東京市京華尋常小学校(京華スクエア)昭和4年(1929)中央区八丁堀3-17-9  復興小学校。曲面構造
旧鉄砲洲小学校(中央区中央小学校)昭和4年(1929)中央区湊1-4  復興小学校。一部に曲面を使う
日本不動産(株) 中央区湊   
鉄砲洲稲荷神社昭和10年代中央区湊1-6-7  境内に昭和3年製の富士塚がある
古谷工業 中央区新川1-28   
豊海橋(日本橋川)昭和2年(1927)中央区新川1〜日本橋箱崎町 フィーレンディールトラス橋復興橋のひとつ。区民有形文化財。永代橋にあわせる様にしてデザインされた
永代橋大正15年(1926)中央区新川1〜江東区永代1田中豊、竹中喜忠 復興橋のひとつ。重要文化財
新川会館ビル昭和5年(1930)中央区新川1-17   
明正小学校 中央区新川2-13  復興小学校
南高橋(亀島川)昭和7年(1932)中央区新川2〜湊1  復興橋。明治37年に架けられた両国橋の中央径間が転用されている。区民有形文化財
霊岸島検潮所・量水標跡明治6年(1873)中央区新川2-32-1  日本水準原点の標高参考潮位を測ったた検潮所
華僑ビル(華僑大廈)昭和3〜4年(1928〜29)頃中央区築地2-15-13  傷みが目立つようになっている
築地本願寺昭和9年(1934)中央区築地3-15-1伊東忠太石造・RC2階 
一不ニ 中央区築地4-14-14  大きな看板建築
海幸橋(築地川東支川)昭和2年(1927)中央区築地5-2〜築地6-27  平成14年に撤去。親柱だけ現存
勝鬨橋昭和15年(1940)中央区築地5〜勝どき1  重要文化財。跳開橋。1970年以降、一度も開いていない
築地六丁目郵便局 中央区築地6-8-6  看板建築風
神代水産 中央区築地6-9   
小田原橋跡 中央区築地6-26?  かつて存在した築地川の橋。駐車場脇の壁に親柱の一部らしきものがある
角の銅板住宅 中央区築地7-10-1   
濱野家住宅昭和5年(1930)中央区築地7-10-8   
中央食品 中央区築地7-12-2  銅板壁
角の銅板2階家 中央区築地7-12-3  銅板壁
森下 中央区築地7-15-12   
聖路加国際病院旧館昭和7年(1932)中央区明石町9-1アントニン・レーモンド、ベドリッヒ・フォイエルシュタイン、J.V.W. バーガミニー 都選定歴史的建造物・中央部分が保存。最初、レーモンドが設計したが、装飾に乏しく、不評を買って途中で解雇され、バーガミニーらが受け継いだ
聖路加国際病院宣教師館(トイスラー記念館)昭和7年(1932)中央区明石町10  平成10年に移築復元。区民有形文化財
築地カトリック教会昭和2年(1927)中央区明石町5-26  都選定歴史的建造物・パルテノン風
中央区立明石小学校昭和元年(1926)中央区明石町1-15  復興小学校のひとつ
旧東京市京橋高等家政女学校〜旧中央区立第ニ中学校昭和12年(1937)中央区明石町1-6  平成14年に解体
アメリカ公使館跡碑 中央区明石町8 石造聖路加病院トイスラー記念館の前。プレート状
高久 中央区佃2 3階看板建築
高瀬家住宅昭和6年(1931)中央区佃2-14-4  2階戸袋が銅版壁になっている
佃島渡船場跡昭和2年(1927)中央区佃1-11-4、湊3-18  佃公園と佃大橋詰にある
清澄通り看板建築 中央区月島1-4付近  赤青の看板建築
旧月島警察署西仲通交番(地域安全センター)大正15年(1926)中央区月島3-4 RC現存最古の交番建築と思われる
西仲通商店街看板建築群 中央区月島1〜月島3  とにかく数が多い
台東区
地下鉄ビル・浅草駅(雷門ビル)昭和4年(1929) 台東区浅草・雷門 木造解体
神谷バー大正10年(1921)台東区浅草1-1-1 RC4階吾妻橋交差点の角にたっている趣のあるビル。カクテル電気ブランで有名なお店
ひさご湯 台東区浅草   
浅草寺一山支院(浅草寺岐院集合住宅)昭和7年(1932)台東区浅草岡田信一郎 浅草寺の北側、浅草寺病院に隣接する、支院が並んでいる一帯のことで、震災区画整理で集められ、全体をまとめて設計した構造になっている。しばしば集合住宅と紹介されているが、アパートやマンションのようなものではなく、建物が集合していると言う意味
浅草東宝昭和39年(1964)台東区浅草  映画館は閉館?
東京メトロ銀座線(浅草−上野)昭和2年(1927)台東区浅草1〜東上野3  土木遺産に認定されている。H型鋼やリベットなど、初期の遺構が多く見られる。また、駅の入り口からホームまでが非常に近く、天井が低いことや、トンネルが小さいなどの特徴がある
ROXY(旧金龍館)昭和6年(1931) 台東区浅草1-26-6 RC4階映画館・解体・建て替え、3軒並んでいた
東京クラブ昭和6年(1931) 台東区浅草1-26 RC5階映画館・解体・建て替え、3軒並んでいた
浅草常盤座昭和6年(1931) 台東区浅草1-26 RC4階映画館・解体・建て替え、3軒並んでいた
浅草観音温泉昭和32年(1957)台東区浅草2-7-26  つたの絡まるビルとさびた鉄塔が目立つ
浅草寺病院 台東区浅草2-30-17  新病棟にかわる
清水本店 台東区浅草2-30-11   
エスペランサ靴学院 台東区東浅草1-8-11  白亜の建物で、アーチ窓
永寿病院昭和4年(1929)か5年(1930)台東区元浅草  稲荷町駅近くの道路沿いに立つビルだったが、病院が上野の新病棟へ移転したあと解体された
山本屋総本家 台東区雷門1-15 RC3階以前はBACCANALEという店舗が入っていて、茶色い建物だったが、今は白一色になっている
旧岡三証券ビル昭和10年(1935)台東区雷門2-11  駒形橋の近く、浅草方向への道の左側
地下鉄浅草駅口 台東区雷門2今井兼次  
吾妻橋昭和6年台東区雷門2・花川戸1〜墨田区吾妻橋1  3径間鋼ソリッドリブタイドアーチ橋
駒形橋昭和2年台東区雷門2・駒形2〜墨田区東駒形1・吾妻橋1  復興橋
廿世紀浴場昭和4年(1929)台東区日本堤1-34-1  正面から見ると特徴的な近代風デザイン
いろは会アーケード 台東区日本堤  アーケードなのでわかりにくいが、古い建物が何軒か見られる。周辺も古い建物が多い
中江と伊勢屋昭和2年(1927)台東区日本堤  大きな木造建築
厩 橋昭和4年台東区駒形2・蔵前2〜墨田区本所1   
東京厚生信用組合浅草支店 台東区駒形1-1-12   
蔵前橋昭和2年台東区蔵前2〜墨田区横網2   
黒田記念館昭和3年(1928)台東区上野公園12 RC2階 
旧博物館動物園駅昭和8年(1933)台東区上野公園中川俊二石造京成線。現在は廃止されているが施設は残っていて、地上にも建物が残っている。博物館そばの交差点角にあるのが有名。動物園側にもある
旧帝室図書館(国際こども図書館)明治39年(1906)台東区上野公園12-49久留正道、真水英夫、岡田時太郎RC平成12年改修
旧東京音楽学校本館奏楽堂明治23年(1890)台東区上野公園8-43山口半六、久留正道木造2階重要文化財
旧東京帝室博物館(東京国立博物館本館)昭和13年(1938)・1937?台東区上野公園13-9渡辺仁・宮内庁内匠寮RC2階地下1階重要文化財
旧東京帝室博物館表慶館(東京国立博物館表慶館)明治42年(1909)・1908?台東区上野公園13-9片山東熊、高山幸次郎煉瓦造重要文化財
東京国立博物館東洋館昭和43年(1968)台東区上野公園   
旧因幡池田屋敷表門(東京国立博物館黒門)江戸時代末期台東区上野公園 木造重要文化財
旧東京博物館上野新館(国立科学博物館)昭和5年(1930)台東区上野公園7-20小倉強RC重要文化財
蒸気機関車 D51 231 国立科学博物館 台東区上野公園7-20  入り口横に展示されている
国立西洋美術館昭和34年(1959)台東区上野公園コルビュジェ コルビュジェ作品として世界遺産の候補にされている。重要文化財
上野西郷ビル(聚楽) 台東区上野公園1 RC3階上野公園の下にある横長の建物。解体進行中
旧教育博物館書籍閲覧所書籍庫(東京芸術大学赤レンガ1号館)明治13年(1880)台東区上野公園12-8林忠恕  
旧東京図書館書籍庫(東京芸術大学赤レンガ2号館)明治19年(1886)台東区上野公園12-8小島憲之  
旧東京美術学校陳列館(東京芸術大学大学美術館陳列館)昭和4年(1929)台東区上野公園12-8岡田信一郎  
旧皇居正門鉄橋飾電燈(東京芸術大学大学美術館陳列館)明治21年(1888)台東区上野公園12-8  皇居にあった4基のうちの1基
旧東京美術学校正木記念館(東京芸術大学大学美術館正木記念館)昭和10年(1935)台東区上野公園12-8金沢庸治  
東京芸術大学音楽学部正門 台東区上野公園12-8   
Once Upon A Time 台東区上野1-3-3明治? 煉瓦蔵を利用した店舗
旧東京市黒門尋常小学校(区立黒門小学校)昭和5年(1930)台東区上野1-16-20  復興小学校
旧小川眼科医院(黒沢ビル)昭和6年(1931)台東区上野2-11  登録文化財。ホテル横
堺屋酒店大正年間台東区上野2-12  商店としては大きめの建物で、円形をしている
旧京成上野公園駅(旧京成聚楽ビル)昭和13年(1938)台東区上野4-1  2006年に解体。通称「軍艦ビル」
松坂屋上野店昭和4年(1929)台東区上野3-29-5 RC8階震災で焼失した建物に変わり再建される
松坂屋上野店別館 昭和25年(1950)台東区上野3-24   
旧十仁整形外科? 台東区上野3-27-14?  横に長い建物。解体計画あり
東京電力下谷変電所 昭和6年(1931)台東区上野6-8  雑居ビルの立て込んだ間にある。特徴あるデザイン
JR上野駅昭和7年(1932)台東区上野7-1 RC 
上野労働相談所大正14年(1925)台東区上野7-3付近  解体されたようだ
洋食屋くろんぼとトナミ 台東区東上野3   
T邸昭和5年(1930)台東区東上野3   
日本基督教団下谷教会昭和5年(1930)台東区東上野3  新しくなっている
中村紙工所 台東区東上野3-2   
地下鉄稲荷町駅入口 台東区東上野3-33ほか東京地下鉄道工務課 見た目は綺麗になっているが元のまま
東作 台東区東上野3   
東京メトロ銀座線(上野−新橋)昭和5年(1930)〜昭和9年(1934)台東区東上野3〜港区新橋2  土木遺産に認定されている。H型鋼やリベットなど、初期の遺構が多く見られる。また、駅の入り口からホームまでが非常に近く、天井が低いことや、トンネルが小さいなどの特徴がある
比留間歯科医院昭和4年(1929)台東区東上野4-1-5  洋館風
理容天谷/ミイズ美容室  台東区東上野4  比留間歯科の隣
旧下谷小学校 台東区東上野4-7  復興小学校
黒い壁の古い民家? 台東区東上野4 木造2階裏通りにぽつんと残っている
同潤会上野下アパート昭和4年(1929)台東区東上野5-4  同潤会のほぼ最後の物件。状態は良い。解体予定
プラチナ万年筆 台東区東上野5   
中央建物(有)/まりっぺ 台東区東上野5  上野下アパートの隣
寿湯 台東区東上野5   
寛永寺幼稚園大正期台東区上野桜木1-14-11   
寛永寺坂駅(台東倉庫?)昭和3年(1928)台東区上野桜木2-4付近  京成電鉄の地下駅。1947年に廃止されたが、地上の駅舎や地下ホーム跡などは現存していて運送会社が借りている。表からはわかりにくい
旧吉田屋酒店(下町風俗資料館附属設展示場)明治43年(1910)台東区上野桜木2-10   
東京都道首都高速1号線昭和44年(1969)台東区北上野1〜中央区日本橋本町2  1969年5月31日完成。3.6km
宇佐美カメラ店 台東区谷中4-2  銅板壁の上を通常の看板や壁で覆っている
珎々亭 台東区谷中5-1   
カヤバ珈琲 台東区谷中6-1   
谷中岡埜栄泉 台東区谷中6-1   
旧柏湯(SCAI THE BATHHOUSE)昭和30年代台東区谷中6-1-23  銭湯の建物を転用
すぺーす小倉屋弘化年間(母屋)、大正6年(土蔵)台東区谷中7-6-8  有形文化財
旧朝倉文夫アトリエ(朝倉彫塑館)昭和10年(1935)台東区谷中7-18-10 RC3階一部木造旧アトリエは大正12年(1923)竣工
 台東区谷中1-2  見事な銅板建築。解体
吉川ぶりき店大正14年(1925)台東区谷中  一部銅板
入谷尋常小学校(坂本小学校)大正15年(1926)台東区下谷1-12-8  復興小学校
難波神仏具店昭和4年(1929)台東区寿2-8  デザインが特徴的
勝造商事昭和2年(1927)台東区寿4-7   
旧岩崎久彌邸明治29年(1896)台東区池之端1-3-45ジョサイア・コンドル木造2階重要文化財・ジャコビアン様式
旧岩崎邸撞球場(ビリヤード場)明治29年(1896)台東区池之端1-3-45 木造2階重要文化財
東天紅上野店昭和41年(1966)台東区池之端1-4-33   
忍旅館(上田邸)昭和4年(1929)台東区池之端 3-3-19 木造3+塔屋外見はモルタルを石造り風に見せた独特のもの
ふるかわ庵 台東区池之端4-15 木造 
タイガービル 台東区蔵前4-30-7  昭和初期頃に立てられた集合住宅。登録文化財
浅草聖ヨハネ教会昭和4年(1929)台東区蔵前2-7-6   
矢島写真店 台東区根岸  タイル壁、玄関柱、アーチ窓など特徴ある建物
上村工業(株)東京支社昭和5年(1930)台東区鳥越1-1-2  引っ越して空き家になっている
鈴やビル 台東区台東1-30-3  レトロな外見。解体?
西郷医院 台東区台東3  診療所としては大きな建物
旧小島小学校(台東デザイナーズビレッジ) 台東区小島2  復興小学校。円柱状の特徴的なデザインの校舎
浅草東武ビル(東武鉄道浅草駅・松屋浅草店)昭和6年(1931)台東区花川戸1久野節RC7階ターミナルデパートのはしり。改装されているためわからないが、元はアールデコ様式
言問橋昭和3年(1928)台東区花川戸2・浅草7〜墨田区向島1,2  復興橋。三径間ゲルバー鈑桁橋
浅草橋ビル昭和3〜4年(1928〜29)台東区浅草橋1-1  浅草橋のたもとにあるレトロチックなビル
旧東京市福井尋常小学校(区立福井中学)昭和4年(1929)台東区浅草橋  復興小学校
旧東京市柳北尋常小学校(区立柳北小学)大正15年(1926)台東区浅草橋  復興小学校。リセ・コレージュ・フランコ・ジャポネというフランスの学校が入っている。柳北公園の南。校舎の一部は解体
福井ビル 台東区浅草橋2-6  改装されたがビルそのものは残っているみたい。隣の店も看板建築だが、看板部分は撤去
中華の入っている古いビル 台東区浅草橋5-4  正体は良くわからないが、デザインが非常に凝っている
旧西條箔押所 台東区浅草橋   
三河屋衣装店 台東区浅草橋3-24?   
亥来堂はんこ屋 台東区浅草橋5-28   
原歯科医院昭和3年(1928)台東区柳橋1-24  さほど大きくないが、表のデザインがいい
(株)本格 台東区柳橋1-4   
鳥 茂 台東区柳橋   
人形の昇玉 台東区柳橋1-24   
総武線隅田川橋梁1932年(昭和7)台東区〜墨田区田中豊 3径間ゲルバー下路式ランガー桁
千代田区
宮内庁庁舎昭和10年(1935)千代田区千代田1-1宮内省内匠寮 皇居内にあるため、保存される可能性はあるが、皇室関係の建物でも解体される例はあるため、一概には言えない
宮内庁楽部音楽堂 桃花楽堂昭和35年(1960)千代田区千代田  皇居東御苑
皇居正門石橋旧飾電燈明治21年(1888)千代田区千代田  皇居東御苑
祝田町見張所 千代田区千代田  二重橋が見える位置にあるミニ交番
西丸下乗橋(二重橋・正門前鉄橋・月見橋)明治21年(1888)千代田区千代田  奥に見える橋。これが本来の二重橋(かつて木造だったとき、上下二段の橋だった為)
西丸大手橋(正門前石橋)明治21年(1888)千代田区千代田  一般にはこちらを二重橋と呼ぶ
旧近衛師団司令部(東京国立近代美術館工芸館) 明治43年(1910)千代田区北の丸公園1-1田村 鎮煉瓦造重要文化財・昭和52年(1977)改修
東京国立近代美術館昭和44年(1969)千代田区北の丸公園3-1   
パレスホテル昭和36年(1961)千代田区丸の内1-1  解体へ
東京海上日動ビル昭和49年(1974)千代田区丸の内1-2-1前川國男 皇居そばにあった海上ビルを解体し建設された高層ビル。実は、霞ヶ関ビルに先立つ昭和41年、東京海上がビルの建て替えを申請した際に30階建て、高さ127mの高層ビル案を提出したところ、賛否両論の大論争を引き起こした。皇居そばだったことが最大の要因で、国や都まで巻き込んだ結果、25階建て99mの妥協案となり、以来、皇居周辺は高さ100m前後のビルが林立することになった。新海上ビルが完成したときには、すでに超高層ビル時代の幕は開けており、平成になってからは、高さ制限の不文律も無くなったことから、超高層ビルが相次いで建設され、いまや海上ビルは、大手町・丸の内界隈では、小さい方になっている
旧東京銀行集会所(東京銀行協会ビル)大正5年(1916)千代田区丸の内1-3松井貴太郎RC5階東京銀行協会ビルの下層部分に外観を復元保存
新住友ビル昭和34年(1959)千代田区丸の内1-3  隣接するみずほコーポレートビル(みずほコーポレートビル)とともに再開発の計画あり
旧日本興業銀行本店(みずほコーポレートビル)昭和48年(1973)千代田区丸の内1-3-3村野藤吾 隣接する新住友ビルとともに再開発の計画あり
日本工業倶楽部・永楽ビルヂング(三菱UFJ信託銀行本店ビル)大正9年(1920):工業倶楽部、昭和9年(1934):永楽ビル千代田区丸の内1-4松井貴太郎(工業倶楽部)RC5階三菱UFJ信託銀行本店ビルの下層部分にある。登録文化財。一度解体され復元
東銀ビルヂング昭和35年(1960)千代田区丸の内1-4-2三菱地所 2008年〜2011に建替え予定
新丸の内ビルヂング昭和27年(1952)千代田区丸の内1-5-1  解体・高層ビルへ
第一鉄鋼ビルディング昭和26年(1951)千代田区丸の内1-8-2 RC9階戦後巨大オフィスビルのはしり。ファサードがあるなど戦前オフィスビルのデザインを受け継いでいる。昭和33、45年に増築
第二鉄鋼ビルディング昭和29年(1954)千代田区丸の内1-8-2 RC9階第一鉄鋼ビルの隣。昭和44年に増築
JR東京駅丸の内駅舎大正3年(1914)千代田区丸の内1-9-1辰野金吾・葛西万司鉄骨煉瓦戦災で大破し、応急修理で三角屋根2階建てとしたまま、戦後維持されてきた。現在、旧来のドーム式、総3階建てに復元する工事中。一方で、戦後50年以上も三角屋根で来たことなどから、現状維持を主張する人もいる。現在は重要文化財だが、保存が決まったのは平成になってからで、かつては解体計画もあった
鉄道会館ビル(大丸東京店)昭和29年(1954)千代田区丸の内1-9-1  東京駅八重洲口側のランドマークビルだった建物で、大丸東京店が入っていた。戦災と終戦直後の火災をうけた再開発で建設された。東京駅ルネッサンス計画によって八重洲地区一帯が再開発されることになり、南北に超高層ビルが建設されることになったため、当ビルは丸の内・皇居側への風通しのために解体され、ペデストリアンデッキとなる予定。
旧有楽町そごう(読売会館・ビックカメラ)昭和32年(1957)千代田区丸の内1-11村野・森建築事務所  
明治生命館昭和9年(1934)千代田区丸の内2-1-1岡田信一郎RC8階重要文化財
丸の内仲通りビル昭和38年(1963)千代田区丸の内2-2-3   
丸の内ビルヂング 千代田区丸の内2-4-1  解体・高層ビルへ
丸の内2丁目ビルディング昭和39年(1964)千代田区丸の内2-5-1  旧三菱重工東京本社ビル。1974年8月30日に極左テロ組織によって爆破され、8人が死亡し376人が重軽傷を負った。一般人多数が犠牲となった悲惨な事件に、極左活動は支持を失い衰退。犯罪被害者保障制度が整備されることになった。その後、一時、文部科学省が入っていたので、文部科学省ビルという言い方が今でも使われる
三菱ビル昭和48年(1973)千代田区丸の内2-5-2   
丸の内八重洲ビルヂング昭和3年(1928)千代田区丸の内2-6三菱地所RC8階尖塔のついた塔屋、アーチ窓などレトロチックなビルとして有名だった。隣接する古河ビル・三菱商事ビルとともに解体され、跡地には高層ビルとともに、1894年竣工の三菱1号館が復元されたが、歴史的ビルを解体して、歴史的ビルを復元する、と言う発想に、建築ファンの間では非常に複雑に受け止められることとなった
三菱一号館平成20年(2008)千代田区丸の内2-6  丸の内オフィス街の原点とも言え、1894年に竣工し、1968年に解体された、三菱一号館を復元したもの。美術館として使われる予定。参考物件
東京中央郵便局昭和3年(1928)・1931・1933?千代田区丸の内2-7-2 RCJPビル建設のため、前面部分を残し解体へ。解体の前、各方面の学者らで構成する検討委員会に諮問したが、学者は全員現状維持で回答した。ところが、この結果を隠し、解体計画が承認されたかのように工作したため問題化。鳩山総務相が現場まで行き批判した。これに対し、日本郵政の西川社長は「文化財はいらない」と発言。石原都知事も「文化財で無いから」と解体を支持、一部ジャーナリストも、解体計画の政治介入への批判や、官僚体質の象徴的建物だとして解体を主張。一方、これまで日本郵政に文化財登録を求めていた文化庁と建築学会は猛反発。ジャーナリストの一部も、同じ旧公社系のJRやNTTが古い建造物を保護する動きを見せていることと比較して日本郵政批判を展開。民営化論議も再燃し、与野党を巻き込む政治問題と化した。結局、日本郵政が保存する部分を増やし、登録文化財にすることで政府も妥協し、重要文化財指定を撤回して改築を認めた。モダニズム様式のようなデザインがシンプルなビルは、「古い汚いビル」と見られて文化財扱いされない、という典型的な例となる一方、近代建築の文化財的価値を見直すきっかけにもなった。
東京ビルヂング昭和26年(1951)千代田区丸の内2-7-3  2006年に建替え解体、高層化
国際ビル(帝国劇場)昭和41年(1966)千代田区丸の内3-1-1谷口吉郎  
富士ビル昭和37年(1962)千代田区丸の内3-2-3   
新東京ビル昭和38年(1963)千代田区丸の内3-3-1  昭和40年(1965)に増築
新国際ビル昭和40年(1965)千代田区丸の内3-4-1   
旧東京都庁第一本庁舎昭和32年(1957)千代田区丸の内3-5丹下健三 建築してから解体までが比較的短期間だった。展示されていた岡本太郎の11枚の壁画も解体と一緒に破壊された
旧東京都庁西1号庁舎昭和3年(1928) 千代田区丸の内3-5 RC5階 
旧東京都庁西2号庁舎昭和9年(1934)千代田区丸の内3-5 RC4階 
旧東京都庁西3号庁舎昭和3年(1928) 千代田区丸の内3-5 RC3階 
旧東京都庁西8号庁舎大正10年(1921) 千代田区丸の内3-5 3階 
旧東京都庁西9号庁舎昭和3年(1928) 千代田区丸の内3-5 SRC3階 
日赤東京支部昭和2年(1927)千代田区丸の内3-5 RC3階解体
東京高架橋(新永間市街線高架橋)有楽町〜東京大正3年(1914)    
東京宝塚ビル(東京宝塚劇場)昭和8年(1933)千代田区有楽町1-1石川純一郎 1998年頃解体し、建て替え。新ビルもややレトロなデザイン
有楽座昭和10年(1935)千代田区有楽町1-2阿部美樹志 1984年からの再開発で解体
日比谷映画劇場昭和9年(1934)千代田区有楽町1-2阿部美樹志 1984年からの再開発で解体
東宝会館(旧千代田劇場・みゆき座など)昭和32年(1957)千代田区有楽町1-2  2005年閉館
国策ビル 千代田区有楽町1-3   
純喫茶タクト 千代田区有楽町1-6   
東宝食堂ビル 千代田区有楽町1-6-3  2006年解体→東宝ビルへ
糖業会館・ニッポン放送本社昭和14年(1939)千代田区有楽町1-9渡辺節 2004年解体
三信ビル昭和4年(1929)千代田区有楽町1-10松井貴太郎RC7階非常に保存状態が良く、特徴的なデザインを持つ昭和初期のオフィスビルを代表する建物だったが、各方面からの猛反対があったにもかかわらず、あっけなく解体される
有楽町ビル昭和41年(1966)千代田区有楽町1-10-1   
日本生命日比谷ビル(日生劇場)昭和38年(1963)千代田区有楽町1-12村野藤吾  
新有楽町ビル昭和42年(1967)千代田区有楽町1-12-1   
第一生命相互館(DNタワー21)昭和13年(1938)千代田区有楽町1-13-1渡辺仁・松本興作RC都選定歴史建造物。戦後、連合国軍総司令部が置かれていた。1995年に背後の農林中金ビルと合体させた上で、中央部分が高層ビル化。元々現代的なデザインだったため、高層部分とあまり違和感が無い
農林中央金庫有楽町ビル(DNタワー21)昭和8年(1933)千代田区有楽町1-13-1渡辺仁SRC6階1995年に第一生命相互館と合体させた上で、高層ビル化。第一生命側と違い、ビルの壁面が旧ビルの形状となっていて、高層部分とかなり異なっている
新聞輸送株式会社 千代田区有楽町2-7  2004年解体?
レパンテ大正14年(1925)千代田区有楽町2-8-7大倉土木  
可口飯店昭和はじめころ千代田区有楽町2-8-13 RC3階2005年解体
東京都道首都高速5号線昭和42年(1967)千代田区一ツ橋1〜西神田3  1967年3月30日開通。1.2km
東京都道首都高速3号線昭和42年(1967)千代田区霞が関2〜港区六本木3  1967年7月4日開通。1.3km
東京都道首都高速5号線昭和44年(1969)千代田区西神田3〜文京区音羽2  1969年6月27日開通。3.9km
日比谷パークビルディング昭和27年(1952)   2006年頃解体
旧日比谷電電ビル(NTT日比谷ビル)昭和36年(1961)千代田区内幸町1-1國方秀男 旧電電公社本社ビル
大阪ビル1号館(日比谷大ビル) 千代田区内幸町1-2渡辺節 1986年頃解体→日比谷ダイビルへ
大阪ビル2号館昭和6年(1931)千代田区内幸町1-2渡辺節  
錦 橋昭和2年(1927)千代田区大手町1〜錦町3  復興橋のひとつ。名前の由来「錦町」は町内に「一色家」が2軒あったから(いっしき×2=にしき)、と言う説もある
気象庁庁舎昭和39年(1964)千代田区大手町1-3-4  解体予定
大手町ビルヂング昭和33年(1958)千代田区大手町1-6-1  高さはさほどではないが、かなり横に大きなビルで、高度成長期を代表する建物
旧日清生命館(野村ビル)昭和7年(1932)千代田区大手町2-1佐藤功一SRC7階解体。超高層ビル化。旧建物の四隅の時計塔の部分が保存されている
新大手町ビルヂング昭和34年(1959)千代田区大手町2-2   
三菱総合研究所ビルヂング昭和45年(1970)千代田区大手町2-3  再開発の計画あり
逓信ビル(逓信総合博物館ほか)昭和39年(1964)千代田区大手町2-3-2小坂秀雄 再開発の計画あり
東京郵政局ビル 千代田区大手町2-3-2小坂秀雄 解体
旧東京国際郵便局昭和43年(1968)?千代田区大手町2-3-2  再開発の計画あり
日本ビルヂング昭和37年(1962)千代田区大手町2-6  建替えの計画がある
新日鐵ビル昭和45年(1970)千代田区大手町2-6   
大和証券ビル昭和32年(1957)千代田区大手町2-6  建替えの計画がある
常磐橋明治10年(1877)千代田区大手町2〜日本橋本石町2  東京最古の橋のひとつ・保存状態が悪く、傷みが激しく車は通行できない。千代田区景観まちづくり重要物件。橋に石材を転用した江戸時代の常磐橋門の跡がある
常盤橋昭和1年(1926) 12月千代田区大手町2〜日本橋本石町2  常磐橋のやや下流に架けられたかけられた橋。千代田区景観まちづくり重要物件
新常盤橋昭和3年(1928)千代田区大手町2〜日本橋本石町3  復興橋。常磐橋の上流側・昭和63年に解体して架け替え
鎌倉橋昭和4年(1929)千代田区大手町2〜内神田2  復興橋のひとつ
東京都道首都高速4号線昭和39年(1964)千代田区大手町2〜渋谷区本町1  1964年8月2日開通。9.8km
東京都道首都高速4号分岐線昭和39年(1964)千代田区大手町2〜中央区日本橋本石町1  1964年8月2日開通。0.4km
日本水準原点標庫明治24年(1891)千代田区永田町1-1佐立七次郎石造都指定文化財・国会前庭洋式園内
国会議事堂昭和11年(1936)千代田区永田町1-7-1 石造一部修繕
国立国会図書館(東京本館)昭和36年(1961)千代田区永田町1-10-1   
自由民主会館昭和41年(1966)千代田区永田町1-11-23  自民党本部。日本最大の政党の本部ビルだが、日本共産党本部ビルの方が大きい(ブルジョア?)
総理大臣公邸昭和4年(1929)千代田区永田町2-3-1  2003年に元あった場所から50mほど移動した
議員会館焼却場 千代田区永田町2-8  議員会館改築に伴い、2007〜2008年解体
永田町TBRビル昭和40年(1965)千代田区永田町2-10-2  解体の話が出ている
旧東京ヒルトンホテル(キャピトル東急ホテル)昭和38年(1963)千代田区永田町2-10-3  ビートルズが泊まったことでも有名なホテル。2007年に解体。高層ビルへ建て替えへ
山王ホテル 千代田区永田町2-11-1  1983年に米軍より返還。解体後に建設された山王パークタワーは、ホテルとして計画されたがオフィスビルに
旧千代田区立永田町小学校昭和12年(1937)千代田区永田町2-19-1  統廃合で廃校になったが、臨時校舎として使われることもある
旧司法省庁舎(赤煉瓦棟・法務省中央合同庁舎第6号館)明治28年(1895)千代田区霞ヶ関1-1-1ヘルマン・エンデ、ウイルヘルム・ペックマン・河合浩蔵煉瓦造平成8年(1996)に改修、重要文化財
東京弁護士会昭和7年(1932)千代田区霞ヶ関1-1森山松之助  
第一東京弁護士会 千代田区霞ヶ関1-1桜井小太郎  
第二東京弁護士会 千代田区霞ヶ関1-1   
刑務協会(日本弁護士連合会) 千代田区霞ヶ関1-1三菱地所部 法曹会館の隣
法曹会館昭和11年(1936)千代田区霞ヶ関1-1-1藤村朗RC4階 
桜田門巡査派出所昭和9年(1934)千代田区霞ヶ関1-11   
中央合同庁舎1号館(農林水産省庁舎ほか)昭和29年(1954)千代田区霞ヶ関1-2-1  戦前の省庁庁舎建築を受け継いだデザイン
同潤会虎ノ門アパートメント昭和4年(1929)千代田区霞ヶ関1-4-3  2000年頃解体?現在大同生命霞ヶ関ビルのある辺り
旧内務省庁舎(人事院ビル・自治省・合同庁舎2号館)昭和8年(1933)千代田区霞ヶ関2-1  平成12年解体。2001年頃まで建物の一部が残っていて、警察庁が入っていた。
外務省本館北庁舎昭和35年(1960)千代田区霞が関2-2-1小坂秀雄  
外務省本館中央・南庁舎昭和45年(1970)千代田区霞が関2-2-1小坂秀雄  
会計検査院庁舎昭和10年(1935)千代田区霞ヶ関3-2大蔵省営繕管財局RC5階文部省と並んでいたが霞ヶ関R−7計画により解体
旧文部省庁舎(文部科学省・文化庁)昭和8年(1933)千代田区霞ヶ関3-2大蔵省営繕管財局SRC6階前面部分のみ保存。文化庁の入っている建物が、一部だけ保存されている、と言うのも微妙
霞ヶ関ビルディング1968年(昭和43)千代田区霞が関 3-2-5・6三井不動産・山下寿廊設計事務所SRC地上36階・地下3階海上ビルの超高層ビル化問題のおかげで、日本最初の超高層ビルとなった建物。それまでの建築物百尺(約31m)制限を完全に終わらせた(但し、これ以前にも6〜70m程度のビルはある)
UBEビル昭和38年(1963)千代田区霞ヶ関3-7-2  隣接する大東ビル(1972年)とともに解体され、再開発の予定
大東ビル昭和47年(1972)千代田区霞ヶ関3-7   
旧大蔵省庁舎(財務省)昭和18年(1943)暫定、昭和38年(1963)完成千代田区霞ヶ関3-1-1 RC5階昭和9年(1934)に着工。しかし戦争や、米軍接収などで完成までに約30年もかかった。2016年までに解体高層化の予定がある
旧・日比谷公園事務所(フェリーチェガーデン日比谷)明治43年(1910)千代田区日比谷公園1-1 木造2階都指定文化財
旧東京市政調査会館(日比谷公会堂)昭和4年(1929)千代田区日比谷公園1-3 RC10階都選定歴史建造物
日比谷図書館昭和32年(1957)千代田区日比谷公園1-4   
東京都道首都高速3号線昭和39年(1964)千代田区隼町〜霞が関2  1964年9月21日開通。1.4km
英国大使館昭和5年(1930)千代田区一番町1英国工務省RC2階 
女子学院中学校・高等学校校舎 千代田区一番町22ヴォーリズ 1992年建替え解体
旧鈴木邸(駐日ローマ法王庁)昭和9年(1934)千代田区三番町9-2  門越しにしか撮れていない
旧東京市立上六小学校(千代田区立九段小学校)大正15年(1926)千代田区三番町15石井権三 復興小学校のひとつ。円柱構造が見られる
千代田女学園本館昭和36年(1961)千代田区四番町   
旧六番町修道院大正14年(1925)千代田区六番町14-1  建替え解体。門柱のみ現存
雙葉学園中・高等校舎昭和27年(1952)千代田区六番町  2000年に建替え解体
主婦会館昭和31年(1956)千代田区六番町  1998年に建替え解体
旧憲兵司令部下士官アパート(大蔵省竹平アパート)昭和10年(1935)千代田区九段南1-2-2  平成12年解体
旧軍人会館(九段会館)昭和9年(1934)千代田区九段南1-6-5川元良一RC4階帝冠様式の代表的ビル
九段会館横の公衆便所 千代田区九段南1-6-5   
靖国神社高灯籠明治4年(1871)千代田区九段南   
旧松葉館(松岡九段ビル)昭和4年(1929)千代田区九段南2-2-8横河工務店RC3階外壁は綺麗になっているが建物は昔のまま
農水省分庁舎三番町共用会議所 千代田区九段南2-1-5  千鳥ヶ淵沿い
日本債権信用銀行 千代田区九段北1-13  2006年建替え
山口邸大正14年(1925)千代田区九段北1-15-9内藤多仲、木子七郎、今井兼次 山口万吉邸?山口一男邸?
遊就館昭和6年(1931)千代田区九段北3-1-1内藤太郎・柳井平八  
旧国防館(靖国会館)昭和9年(1934)千代田区九段北3-1-1内藤太郎・柳井平八  
靖国神社到着殿昭和7年(1932)千代田区九段北3-1-1   
蒸気機関車 C56 C56 31 靖国神社 千代田区九段北3-1-1   
丸石ビルディング昭和6年(1931)千代田区鍛冶町1-10-4山下寿郎RC6階登録文化財
山梨中央銀行東京支店昭和6年(1931)千代田区鍛冶町1-6-10 RC3階千代田区景観まちづくり重要物件
竹中産業株式会社 千代田区鍛冶町1-5-5   
ニュー神田ビル昭和32年(1957)千代田区神田鍛冶町3-3 7階 
アルス美容院・松よし 千代田区神田鍛冶町3-7   
かぶきやほか 千代田区神田鍛冶町3-7   
藪蕎麦 千代田区神田鍛冶町  都選定歴史建造物
JR神田駅大正8年(1919)千代田区神田鍛冶町2  一見するとわかりにくいが、入り口も内装も昔風
ニュー神田ビル昭和32年(1957)千代田区神田鍛冶町3-3 7階 
クリーニング 千代田区神田美倉町4-5-4  ビルの谷間にぽつんと残っている
矢萩ビル 千代田区神田錦町1  全体的に古く、ビル名が英語表記になっているなど、戦後高度成長期頃までのように見える
誠文堂新光社昭和7年(1932)千代田区神田錦町1-5  平成17年解体
明治書院昭和7年(1932)千代田区神田錦町1-16-1  2002年解体→新ビルへ
錦城学園昭和10年(1935)千代田区神田錦町3-1復興建築助成会社 改修により表面は面影なし。裏側などは昔の面影が残っている
正則学園 千代田区神田錦町3-1  2005年解体→新校舎。錦城学園の隣
博報堂旧社屋昭和5年(1930)、1928?千代田区神田錦町3-22岡田信一郎RC4階古典主義・シートがかかってる
学士会館昭和3年(1928)千代田区神田錦町3-28佐野利器・高橋貞太郎RC4階登録文化財
ミロンガ・ヌオーバ 千代田区神田神保町1-3  喫茶店
寿ビル(東京時計商会・旧杏花楼) 千代田区神田神保町1-3   
文省堂・明文堂昭和3年(1928)頃?千代田区神田神保町1-5   
アオヒ印房 千代田区神田神保町1-5 木造2階 
小諸そば/たつや 千代田区神田神保町1-5   
三鈴堂眼鏡店・神保町案内所 千代田区神田神保町1-7-1  並びにある大久保書店とよく似た構造をしているので、同じ設計者か、元々は続き棟だったのかもしれない
一誠堂書店昭和6年(1931)千代田区神田神保町1-7都市建築研究所  
大久保書店 千代田区神田神保町1-7  並びにある三鈴堂とよく似たデザインの建物
11軒長屋風店舗 千代田区神田神保町1-7  これって、現在残ってる大久保書店などのことか?
廣文館書店 千代田区神田神保町1-9  神保町交差点角にある有名な書店
さぼうる 千代田区神田神保町1-11  路地裏・有名な喫茶店で、前の路地はさぼうる通りとも言う
セブンヘアー 千代田区神田神保町1-13   
東明徽章 千代田区神田神保町1-13  セブンヘアーの隣
旧沢書店(檜画廊) 千代田区神田神保町1-17  すずらん通り
はちまき 千代田区神田神保町1-19   
三慶商店大正15年(1926)頃千代田区神田神保町1-19  2000年に解体
神田モーリビル昭和33年(1958)千代田区神田神保町1-21-3  4階
文房堂(文房ビル)大正5年(1916)・1922?千代田区神田神保町1-21-1 RC3階 
桃牧舎 千代田区神田神保町1-23  平成13年解体・戦前はミルク屋。看板建築
キッチンヤマダ 千代田区神田神保町1-23  平成13年解体・銅板壁
誠屋洋服店 千代田区神田神保町1-32   
DAN(ダン洋品店) 千代田区神田神保町1-43  平成12年解体・看板建築
あめりかまる 千代田区神田神保町1  神保町駅のすぐ裏路地の奥にある喫茶店、閉鎖している
岩波神保町ビル 千代田区神田神保町2-1  1991年頃解体?
中質店昭和6年(1931)?千代田区神田神保町2-3   
矢口書店・古賀書店昭和3年(1928)千代田区神田神保町2-5 木造3階 
有限会社篠崎運送店 千代田区神田神保町2-5   
東洋キネマ昭和3年(1928)千代田区神田神保町2-10   
旧第一相互無尽ビル昭和5年(1930)千代田区神田神保町2-19安藤組RC4階 
手塚印刷(株) 千代田区神田神保町2-19   
志のぶ・萬屋履物店 千代田区神田神保町2-19  銅板壁・解体された模様
中華そば成光 千代田区神田神保町2-23   
細淵ビル 千代田区神田神保町2-19  解体された
みその 千代田区神田神保町2   
今荘昭和8年(1933)千代田区神田神保町3-15佐藤組木造3階 
旧今川小路共同建築(九段下ビル)昭和2年(1927)千代田区神田神保町3-4南省吾RC3階歴史的な「共同建築」ビル。傷みが激しいため、ネットが架けられているが、細かいデザインが施された名品。解体の話が進んでいる
春原歯科医院大正15年(1926)千代田区神田神保町3-9   
カバン大進(神保町ビル?) 千代田区神田神保町3-3  2006年頃解体の情報がある
神田消防署駿河台出張所昭和初期?千代田区神田小川町 RC2階 
神田みずさわビル 千代田区神田小川町1-7  本郷通りに面して2棟残っていたが解体
フレール 千代田区神田小川町1-7   
フタバヤ 千代田区神田小川町1-8 木造2階看板建築。ダブルアーチの窓が特徴的だった。解体
天野理容店昭和3年(1928)千代田区神田小川町1-11   
東京共成社大正13年(1924)千代田区神田小川町2-6 木造2階 
タムラ帽子店大正14年(1925)千代田区神田小川町3-3 3階2006年1月解体
4連ギャンブレル屋根風住宅昭和4年(1929)千代田区神田司町2  中折屋根が4軒曲がり角でつながっていると言うおもしろい建築物。切妻なのでマンサードでは無くギャンブレル
花与 千代田区神田司町2-8   
みますや 千代田区神田司町  料理屋さん
(有)秀美堂 千代田区神田司町2-16   
トミタ羅紗店 千代田区神田司町2-10   
旧神田小学校(千代田小学校)昭和4年(1929)千代田区神田司町2-16  平成7〜10年に改築
神田児童公園昭和4年(1930)頃?千代田区神田司町2-2   
旧佐藤新興生活館(山の上ホテル)昭和11年(1936)千代田区神田駿河台1-1ウィリアム・メレル・ヴォーリズRC7階一時海軍所有後、戦後、GHQに接収され、婦人士官用に使われ、ヒルトップホテルと呼ばれた。それが現在の名前の由来。明治大学裏の丘の上に白亜の綺麗な建物が建っている
明治大学昭和7年(1932)千代田区神田駿河台 1-1 RC+SRC4ドームつきの見事な建築デザインだったが、解体され高層ビル化。意匠を受け継いだのか、高層ビルの屋上にもドームがある
旧主婦の友社ビル(現:日本大学大学院法務研究科・カザルスホール)大正13年(1924)千代田区神田駿河台1-6ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(旧)、磯崎新(新)RC3階改築するとき、元の建物の外壁を残す予定だったが崩落したため、デザインを踏襲する形で復元(文脈保存)している
日本大学理工学部1号館昭和4年(1929)千代田区神田駿河台1-8  非常に立派な建物だったが、惜しくも2001年に解体
文化学院昭和12年(1937)千代田区神田駿河台2-5西村伊作 改築?
日本医師会館昭和6年(1931)千代田区神田駿河台2-5  解体
御茶ノ水橋昭和6年(1931)千代田区神田駿河台2-6徳善義光  
JR御茶ノ水駅昭和7年(1932)千代田区神田駿河台2-6  神田川の崖に作られたため、改築できずに残っている。要所要所が非常にレトロ
アテネフランセ昭和37年(1962)千代田区神田駿河台2-11吉阪隆正 著名な語学学校。3つの特徴的建物で構成。設計者の吉阪隆正もこの学校の聴講生
ニコライ堂(日本ハリストス正教会東京復活大聖堂)明治24年(1891)建設・昭和6年(1931)再建千代田区神田駿河台4-1-3ミハイル・シチュールポフ、設計修正コンドル・修復岡田信一郎煉瓦造震災で大破した後、再建された。重要文化財
名倉病院昭和6年(1931)千代田区神田駿河台4-2伊藤滋 2005年頃解体
聖 橋昭和2年(1927)千代田区神田駿河台4-3山田守、成瀬勝武 独特のアーチ構造をした橋であまり他に例の無いデザイン。本郷通り(都道403号)。ニコライ堂と湯島聖堂を結ぶので聖橋と呼ばれる
カトリック神田教会(西神田教会)昭和2年(1927)千代田区西神田1-1マックス・ヒンデルRC登録文化財。マンションやオフィスビルの中にあって異彩を放っている
旧上野塾(東方学会)大正15年(1926)千代田区西神田2-4-1上野塾  
研数学館昭和4年(1929)千代田区西神田2-8  日本最古の進学塾。現在は貸しビル
K邸 千代田区西神田3   
博幸印刷 千代田区西神田3-5   
佐久間橋跡 千代田区神田佐久間町1  かつての掘割跡、秋葉原駅近く
中屋第1ビル昭和34年(1959)千代田区岩本町2-16-10 5階 
日東ビル昭和4年(1929)千代田区岩本町3-9-16復興建築助成会社 平成15年頃解体
参松工業K.K昭和8年(1933)千代田区岩本町3-11横山虎雄 2007年解体?
旧北原プレス機械K.K.(北原ビル)昭和2年(1927)千代田区神田岩本町清水組  
旧千代田区立千桜小学校昭和4年(1929)千代田区神田東松下町  2006年解体
下水道和泉町ポンプ所大正11年(1922)千代田区神田和泉町  複数の年代の建物が混在した感じ
旧佐久間小学校(和泉小学校)昭和8年(1933)千代田区神田和泉町   
鷹岡東京支店昭和10年(1935)千代田区神田須田町1-3谷口 忠RC5階 
山本歯科医院 千代田区神田須田町1-3-3   
久保田織物 千代田区神田須田町1-6  マンサード
都ビル昭和4年(1929)千代田区神田須田町1-8千葉利智 傷みがひどく、空き家になっている模様
神田まつや大正14年(1925)千代田区神田須田町1-13  都選定歴史建造物
東京ファスナー神田営業所 千代田区神田須田町1-22  2003年頃解体か
旧鉄道博物館(交通博物館入口)昭和11年(1936)千代田区神田須田町1-25鉄道省東京改良事務所RC3階交通博物館は東京駅からここへ移転し、そのうち鉄道部門は、2006年にさいたま市の鉄道博物館へと移った。万世橋駅とくっついている
旧万世橋駅明治45年(1912)千代田区神田須田町1-25辰野金吾(初代)煉瓦造り(初代)かつての中央線の始発駅。初代駅舎は東京駅と似ていたが震災で消失、二代目駅舎は近代的だが簡素な造りだったが、交通博物館移転で一部縮小され、戦時中に解体された。ホームや駅の内部構造は残っており、ホームは電車内や総武線側から見ることが出来る
ラジオガァデン 千代田区神田須田町1-25?  老舗の電気部品店
万世橋高架橋(交通博物館跡・万世橋駅)明治45年(1912)千代田区神田須田町1 煉瓦造 
岡谷商事株式会社 千代田区神田須田町1-30   
かわむら 千代田区神田須田町1-34   
フタバ洋品店昭和3年(1928)千代田区神田須田町1   
きくかわ 千代田区神田須田町1-24-2   
紀元書房ほか 千代田区神田須田町1   
地下鉄神田駅構内 千代田区神田須田町1   
いせ源昭和7年(1932)千代田区神田須田町1  都選定歴史建造物
竹むら昭和5年(1930)千代田区神田須田町1   
旧村木商店  千代田区神田須田町1   
旧須田町医院 千代田区神田須田町1   
おでん三金 千代田区神田須田町1   
びいんず 千代田区神田須田町1   
JR神田変電所昭和7年(1932)千代田区神田須田町2-2鉄道省 平成13〜15年に解体
海老原商店昭和3年(1928)千代田区神田須田町2  この並びにある他3軒は銅板建築で、4軒ならんで昔のまま残っている
銅板建築群 千代田区神田須田町2  海老原商店の並びにある3軒はいずれも銅板建築で、4軒ならんで昔のまま残っている
岡昌裏地ボタン店 千代田区神田須田町2  銅板建築
T邸大正12年(1923)千代田区神田須田町2   
柳原通り架道橋 千代田区神田須田町2   
神田川橋梁昭和7年(1932)頃?千代田区神田淡路町2  中央総武各駅停車線。斜めに架橋されて、構造も特徴的。松住町架道橋と続く
昌平橋仮駅跡明治41年(1908)千代田区神田淡路町2  御茶ノ水と万世橋の間の神田川沿いの部分
旧丸菱ビル(第一KSビル)大正14年(1925)千代田区神田淡路町2-3   
同和病院(旧東京医師会館)昭和4年(1929)千代田区神田淡路町2-8  1998年に解体
昌平橋大正12年(1923)?1928年(昭和3年)?千代田区神田淡路町2〜外神田2   
JR秋葉原駅昭和7年(1932)千代田区外神田1 RC解体・改築される予定
アキハバラデパート昭和26年(1951)千代田区外神田1  初期の駅ビル(いわゆる「民衆駅」のひとつ)。駅の改築に伴い解体される予定
御成街道架道橋1932年(昭和7年)千代田区外神田1鉄道省上路単純プレートガーダー秋葉原のど真ん中に架かっている跨道鉄橋
電波会館 千代田区外神田1-14-3   
東京地下鉄道萬世橋駅(銀座線)昭和6年(1931)千代田区外神田1  石丸電気生活家電館のそばに入り口がある。地下鉄からは確認しにくいが、神田から出て右カーブ、アーチトンネル(神田川)を過ぎ、上下線の間の壁のないあたりの、列柱の向こう側あたりが駅のあった場所
石丸ビル 千代田区外神田2?  近くの石丸電気との関係は不明
松住町架道橋昭和7年(1932)千代田区外神田2鉄道省 中央総武各駅停車線、交差点の上にあるため、橋脚を作ることが出来なかった。そのため日本最初のタイドアーチ式鉄道橋となった
第一電波ビル昭和38年(1963)千代田区外神田2-4-4   
神田明神昭和9年(1934)千代田区外神田2-16大江新太郎・佐藤功一SRC1階 
万世橋昭和5年(1930)千代田区神田須田町2-23大林組石造り・RCアーチ橋南側より北側が広い橋詰広場や、欄干袂の機械室と船着場は、下を走る地下鉄建設時の経緯に依る
桜門ビル昭和初期千代田区三崎町2-2  2002年に解体
パレスサイドビルディング昭和41年(1966)千代田区一ツ橋1-1-1 地上9階地下6階お堀端にある横に長い建物。毎日新聞と系列会社、店舗など多数入っている
共立講堂昭和9年(1934)千代田区一ツ橋2  昭和32年(1957)改修
住友商事竹橋ビル昭和45年(1970)千代田区一ツ橋1-2-2 地上16階地下4階 
竹 橋大正15年(1926)千代田区一ツ橋  平成5年に改修されているが、デザインは大正15年の橋を踏襲
神田女学園昭和10年(1935)千代田区猿楽町2-3  建て替えによる解体。新校舎はデザインを踏襲しているらしい
千代田区猿楽町町会詰所 千代田区猿楽町2-3-5  元は交番か。神田女学園の角。千代田区景観まちづくり重要物件。ドラマでも登場する物件
明治大学付属高校・中学の塀 千代田区猿楽町2-4-1   
インド料理店 千代田区飯田橋2-9  看板建築
日本医科大学第一病院昭和6年(1931)千代田区飯田橋3-5和田順顕 平成9年解体。ロマネスク風様式のかなり立派な建物だった
白光堂写真機店昭和3年(1928)千代田区飯田橋3-1-3白土吉之助 凝ったデザインの看板建築風店舗
明治印刷株式会社 千代田区飯田橋3-4  細工の付いた柱のある入り口など、特徴的な建物
宝第二ビル(寶紙業本社) 千代田区飯田橋3-7-14  古いビルのように見える
飯田町駅明治28年(1895)開設、昭和8年(1933)貨物駅、昭和46年(1971)流通センター設立千代田区飯田橋3-10  1895年に甲武鉄道の始発駅として開業。1928年に飯田橋駅が出来ると通勤電車は廃止され、1933年に旅客すべてを廃止して貨物駅となった。1971年に流通センターが出来ると、紙輸送メインとなったが、1999年に廃止。山手線内最後の貨物駅だった。跡地はオフィス高層ビル街に再開発
旧安田岩次郎邸(フィリピン大使館公邸)昭和10年(1935)千代田区富士見1-1横河時介  
暁星学園講堂昭和12年(1937)千代田区富士見1-2-5松田軍平 千代田区景観まちづくり重要物件・裏側は外から見える
暁星学園の塀 千代田区富士見1-2-5  千代田区景観まちづくり重要物件
旧日本神学校(東京ルーテルセンタービル)昭和12年(1937)千代田区富士見1-2-32長谷部鋭吉RC4階都選定歴史建造物
牛込駅跡 千代田区富士見2  昭和3年、飯田町駅設置のため廃止。飯田橋駅のすぐ西側堀のそば
聖イグナチオ教会昭和24年(1949)千代田区麹町6-5   
旧李王家邸(赤坂プリンスホテル)昭和3年(1928)千代田区紀尾井町1-2権藤要吉 高層ホテルの横にある巨大な洋館。日韓併合時代に、皇族の扱いを受けていたの朝鮮李王家の王子(王世子)李垠の邸宅として作られた。
ホテルニューオータニ ザ・メイン昭和39年(1964)千代田区紀尾井町4-1  東京オリンピックに合わせて、東京の宿泊施設が不足していたことを知った鉄鋼王大谷米太郎が私有地に作ったホテル。戦艦大和の主砲台座技術を応用したと言う大回転展望台が有名。小説や映画の舞台としても登場。日本最初の本格的カーテンウォール工法で作られたビルで、これ以降の大型ビルの基本となった。この工法や、柔構造理論の採用、17階建てであることなどから、日本最初の超高層ビル、とする意見もある
上智大学1号館昭和7年(1932)千代田区紀尾井町7-1  ソフィア通り沿いの入り口そば
上智大学クルトゥルハイム聖堂明治29年(1896)頃千代田区紀尾井町7   
参議院清水谷議員宿舎昭和44年(1969)千代田区紀尾井町2?  建替えの話があるが、新しい宿舎を隣接する旧紀州徳川藩邸跡の緑地帯に建てる計画で、都と一部住民が反発している。住民の中には賛成派もいる
文京区
湯島聖堂昭和9〜10年(1934〜1934)頃文京区湯島1-4-25伊藤忠太RC国指定特別史跡
湯島聖堂斯文会館昭和9年(1934)文京区湯島1   
湯島プラザホテル 文京区湯島3-30-6  ホテル自体はすでに閉館
ツナシマ第1ビル昭和25年(1950)文京区湯島3-31-4 8階 
S邸昭和3年(1928)文京区湯島3   
白梅亭 文京区湯島3   
明治牛乳湯島販売所 文京区湯島3   
湯島ハイタウン昭和43年(1968)文京区湯島4  店舗・住居複合型大規模マンションの第一号
湯島小学校大正14年(1925)文京区湯島 RC3階 
聖母美術院 文京区本郷1-1?   
元町公園昭和5年(1930)文京区本郷1-1  復興公園。改修されているが、このクラスの復興公園では唯一、建築当時のデザインが保存されている。しかし文京区は解体して体育館などを建設する計画を進めているため、住民やレトロ建築ファンから反発を買っている
旧東京市元町尋常小学校(旧文京区立元町小学校)昭和2年(1927)文京区本郷1-1-19  元町公園の解体に合わせて、こちらも解体する計画がある
昭和第一高等学校昭和6年(1931)文京区本郷1-2-15木田保蔵  
桜蔭学園1号館昭和6年(1931)文京区本郷1-5-25大林組  
旅館朝陽館本家 文京区本郷1-28  昭和中ごろ風の旅館だが結構大きい
太平ビル昭和38年(1963)文京区本郷1-19-6  
古い塀 文京区本郷1-27 煉瓦 
関口商店昭和4年(1929)文京区本郷2   
加藤薬局昭和3年(1928)文京区本郷2   
旧十河信二邸昭和12年(1937)文京区本郷2-35  解体
日本基督教団弓町本郷教会大正15年(1926)文京区本郷2-35-14中村鎮RC3階 
小山履物店・関口書店昭和初期文京区本郷2   
ヱチソウビル 大正13年(1924)?文京区本郷2-39  ヱチソウとは越前屋惣兵衛の略らしい
クリーニング熊谷本店昭和5年(1930)文京区本郷2-30?  古い建物に上壁をつけているような感じの建物
旧都教育庁お茶の水庁舎(都立御茶の水職業訓練所) 文京区本郷2-4-16  (トウキョウワンダーサイト)
旧辻男爵邸(福士政一邸)明治5年(1872)文京区本郷2  外からしか撮影できない
日本基督教団本郷中央教会昭和4年(1929)文京区本郷3-37-9ボーゲルRC3階有形文化財
溝田経理事務所 文京区本郷3-38   
旧近藤薬局(さかえビル)昭和9年(1934)文京区本郷3-38-10  登録文化財
大澤商店 文京区本郷4-7  銅板壁
M邸(旧東京市営真砂町住宅)大正12年(1923)文京区本郷4  以下3軒のうち2軒は中折れ屋根
Y邸(旧東京市営真砂町住宅)大正12年(1923)文京区本郷4   
S邸(旧東京市営真砂町住宅)大正12年(1923)文京区本郷4   
諸井邸明治39年(1889)文京区本郷4-9木口熊吉 かなり巨大な和風邸宅。秩父セメントの諸井家
旧伊勢屋質店明治23年(1890)文京区本郷5-9-4  明治40年改修
鳳鳴館本館 文京区本郷5-10-5  登録有形文化財
旧昼夜銀行本郷支店(株式会社郁文堂)大正12年(1923)文京区本郷5-30-21  東大前にある典型的な銀行建築の建物
赤門ビル昭和初期文京区本郷5-26-4  平成15年解体
求道会館大正4年(1915)文京区本郷6-20-5武田五一RC2階平成9年〜14年に改修・都指定文化財
求道学舎大正15年(1926)文京区本郷6武田五一 近代学生寮ではほぼ現存最古。リノベーション住宅としてリフォームされたが敷地への立ち入りは困難
万定フルーツパーラー昭和3年(1928)文京区本郷6-17-1  創業は大正3年で、今の建物が昭和3年。喫茶店だが、元々果物屋さんだったので、フルーツパーラーとなっている
ニイミ書店 文京区本郷6  非常に特徴的な外見の看板建築
三陽電気商会 文京区本郷6-18-10   
棚沢書店明治38年(1905)文京区本郷6-18-12  登録文化財
大学堂書店・小川楽器店明治27年(1894)文京区本郷6-24-1  棟続き
旧天神山 文京区本郷6  洋食レストランの元祖のようなもの
本郷館明治38年(1905)文京区本郷6 木造3階かなり巨大な木造の下宿屋さん・解体予定
東京大学赤門(前田加賀藩屋敷御守殿門)文政10年(1827)文京区本郷7-3-1 木造昭和35年(1961)解体修理・重要文化財
学士会分館 文京区本郷7-3-1  解体予定
東京大学正門明治45年(1912)文京区本郷7-3-1伊東忠太煉瓦造登録有形文化財
旧図書館製本所(コミュニケーションセンター)明治43年(1910)頃文京区本郷7-3-1  人力車庫だった場所。赤門の左側
医学部本館(2号館)昭和12年(1937)文京区本郷7-3-1内田祥三  
医学部1号館昭和6年(1931)文京区本郷7-3-1内田祥三  
七徳堂昭和13年(1938)文京区本郷7-3-1内田祥三 都選定歴史建造物
総合図書館昭和3年(1928)文京区本郷7-3-1内田祥三 改築の予定あり
史料編纂所・社会科学研究所・教育学部 文京区本郷7-3-1内田祥三 総合図書館増築部にある
旧資料編纂掛倉庫(史料編纂所倉庫)大正5年(1916)文京区本郷7-3-1  赤門の右側の林の中にある
医学部旧医師会事務局(東京大学広報センター)大正15年(1926)文京区本郷7-3-1岸田日出刀 都選定歴史建造物、1995年改修
医学部龍岡門と守衛室昭和8年(1933)文京区本郷・湯島4岸田日出刀  
医学部附属病院第一研究棟昭和3年(1928)文京区本郷7-3-1内田祥三  
医学部附属病院外来診療棟昭和13年(1938)文京区本郷7-3-1   
医学部附属病院東研究棟昭和3年(1928)文京区本郷7-3-1内田祥三  
医学部附属病院南研究棟大正14年(1925)文京区本郷7-3-1内田祥三、岸田日出刀  
医学部附属病院内科研究棟昭和4年(1929)文京区本郷7-3-1内田祥三  
医学部附属病院管理・研究棟昭和9年(1934)文京区本郷7-3-1内田祥三  
医学部第2食堂昭和9年(1934)文京区本郷7-3-1   
池之端門    普段あまり使われてないのか、ひときわ古ぼけた感じに見える
旧化学教室(理学部化学東館)大正5年(1916)文京区本郷7-3-1山口孝吉 現存する東大最古の建物で震災前の遺構でもある。そのため、他の東大の建物とはまったく異なるデザイン。再開発後に保存予定
理学部化学本館昭和37年(1962)文京区本郷7-3-1  化学館はすべてつながっている
学生ホール    古い?
御殿下記念館エントランス昭和12年(1937)文京区本郷7-3-1   
旧理学部1号館大正15年(1926)文京区本郷7-3-1岸田日出刀 一部のみ現存。解体予定
理学部2号館昭和9年(1934)文京区本郷7-3-1内田祥三 医学部1号館と対の建物
大講堂(安田講堂)大正14年(1925)文京区本郷7-3-1内田祥三、岸田日出刀RC4階塔屋8階登録文化財
工学部1号館昭和10年(1935)文京区本郷7-3-1内田祥三、香山壽夫(改修) 登録文化財
工学部列品館大正14年(1925)文京区本郷7-3-1内田祥三 登録文化財
工学部2号館旧館大正13年(1924)文京区本郷7-3-1内田祥三 内田祥三の東大最初の作品。北側を解体し、南側のみ保存
工学部3号館昭和14年(1939)文京区本郷7-3-1内田祥三  
工学部4号館昭和2年(1927)文京区本郷7-3-1内田祥三  
工学部6号館昭和15年(1940)文京区本郷7-3-1内田祥三  
工学部11号館昭和43年(1968)文京区本郷7-3-1吉武泰水  
工学部13号館     
工学部船舶試験水槽室昭和12年(1937)文京区本郷7-3-1   
工学部運動性能試験水槽棟     
ローソン安田講堂店 文京区本郷7-3-1   
安田講堂近くの親柱? 文京区本郷7-3-1   
旧法文経1号館(法文1号館)昭和10年(1935)文京区本郷7-3-1内田祥三 登録有形文化財・東大ポポロ事件現場
旧法文経2号館・旧第一食堂(法文2号館)昭和13年(1938)文京区本郷7-3-1内田祥三  
法学3号館昭和2年(1927)文京区本郷7-3-1内田祥三、清水幸重  
旧経済学部本館(赤門総合研究棟)昭和40年(1965)文京区本郷7-3-1  一応撮ってあるが全部ではない
弥生門 文京区本郷7-3-1   
農学部正門・正門衛所昭和12年(1937)文京区弥生1-1-1内田祥三 2003〜2005年に修復
農学部本館(3号館)昭和16年(1941)文京区弥生1-1-1内田祥三 都選定歴史建造物
農学部1号館大正15年(1926)文京区弥生1-1-1内田祥三  
農学部2号館昭和11年(1936)文京区弥生1-1-1内田祥三  
大口硝子店 文京区向丘1-6-8   
木村洋服店 文京区向丘   
日東美術印刷株式会社 文京区向丘2-4-2  かなり傷みが激しいのでシートがかかっているが、建物は使用中のようだ
文京区立第六中学校昭和8年(1933)文京区向丘1-2-15 RC3階 
旧東京高圧工業大正末期〜昭和初期文京区西片2  2005年解体
K邸昭和5年(1930)文京区西片2金澤庸治 登録文化財
旧高野瀬邸 文京区西片2   
旧小林洋服店(吉田屋かばん店)昭和初期文京区西片2   
本郷治療院 文京区西片2   
旧麻田中央公論社長邸(平野邸)大正12年(1923)文京区西片2保岡勝也 登録文化財
小出邸 文京区西片2  東京たてもの園へ移築
旧村松医院(中村邸) 大正初期文京区西片2-12-9   
日本基督教団西片町教会昭和10年(1935)文京区西片2-18-18伊藤為吉木造2階あまり古さを感じない
旧田口卯吉邸明治19年(1886)文京区西片2-19-4田口卯吉木造1階 
6軒長屋 文京区西片2   
吉川質店 文京区西片2   
イーグル文京・遠州屋昭和3年(1928)?文京区小石川1-9-5  パン屋さん
照井医院大正元〜2年(1912〜13)文京区小石川1-27-11   
佐藤紙工 文京区小石川1-27-11   
旧小石川歯科医院大正4年(1915)文京区小石川1-28-13  2007年解体
遠藤医院明治44年(1911)文京区小石川2-18-23  平成13年解体
NTT小石川第二ビル 文京区小石川1-21-9  年代はわからないが、造りは古い感じ
大亜堂書店 文京区小石川2-23-12   
丸菱呉服店 文京区小石川   
日本聖公会東京教区東京諸聖徒教会昭和6年(1931) 文京区千石2-18-4 RC2階登録文化財
名取邸    解体
進開屋昭和4年(1929)文京区千石2-30-6  登録文化財
旧東京市明化尋常小学校(文京区立明化小学校)昭和5年(1930)文京区千石1-13-9   
旧安井電気商会 文京区千石   
旧亀井伯爵邸明治18年(1885)文京区千石3-37松ヶ崎萬長 洋館。2003年解体
天理教本羽分教会教職舎大正3年(1914)文京区千石3  旧亀井邸の隣にある。洋館
中島豆腐店明治42年(1909)頃文京区千石4   
升保酒店 文京区千石4   
佃寿司 文京区千石4   
旧光永医院 文京区千石3   
伊勢五明治前期文京区千石3  登録文化財
柴田記念館大正8年(1919) 文京区白山3(小石川植物園内) 木造 
旧・東京医学校本館(東京大学総合研究博物館小石川分館)明治9年(1876)文京区白山3(小石川植物園内) 木造2階重要文化財・東大本郷より移築
東京大学付属植物園本館昭和14年(1939)文京区白山3(小石川植物園内)   
京華女子高等学校・中学校昭和8年(1933)文京区白山5-13-5  立派な校舎
新町館三宅邸大正12年(1923)文京区白山1-29-5  登録文化財。個人宅
旧保育女子学院(彰栄保育専門学校)昭和7年(1932)文京区白山4-14-15   
協立製本(株)岡村紙工場・青木折本製作所 文京区白山1-10-7   
旧鳩山邸(鳩山会館)大正13年(1924)文京区音羽1-7-1岡田信一郎木造2階 
旧大日本雄弁会講談社(講談社旧本館)昭和8年(1933)文京区音羽2-12-21高松政雄 かなり大きな建物。大手出版社の昔の建物ではほぼ唯一か
東京都道首都高速5号線昭和44年(1969)文京区音羽2〜豊島区池袋4  1969年12月19日完成。3.0km
旧細川家学問所(新江戸川公園集会所(松馨閣))  文京区目白台1  公園の入り口横にある建物
旧細川家事務所((財)永青文庫)昭和5年(1930)文京区目白台1-1-1  新江戸川公園の裏手の丘の上にある。美術館として使われている。和敬塾の隣
旧細川侯爵邸((財)和敬塾本館)昭和11年(1936)文京区目白台1-21-2  都選定歴史建造物。基本的には塾生以外敷地には入れません
日本女子大学豊明図書館兼講堂(成瀬記念講堂)明治39年(1889)文京区目白台2-8-1田辺淳吉  
日本女子大学泉山館 文京区目白台2-8  2005年解体
旧三井高陽邸(講談社三井別館)昭和12年(1937)文京区目白台2-29  昭和28年に講談社が購入。各方面から反対があったが結局解体
東京大学付属医院分院 文京区目白台3-28  閉鎖されたまま広大な敷地が放置。2009年頃から周囲に工事フェンスが張られているので近いうちに解体か
東京大学付属医院分院門衛所 文京区目白台3-28  道路に面してあるが、工事フェンスによって見えなくなっている
月の湯昭和8年(1933)文京区目白台3-15-7   
中島屋酒店昭和8年(1933)文京区目白台3-16-2   
東京カテドラル聖マリア大聖堂昭和39年(1964)文京区関口3-16-15丹下健三 非常に現代的なデザインの大きな教会聖堂
文京区立小日向台町小学校昭和13年(1938)文京区小日向2-3-8   
拓殖大学本館昭和7年(1932)頃文京区小日向3  解体中。一部は残すものか……??
旧東方文化学院東京研究所(拓殖大学国際教育会館)昭和8年(1933)文京区大塚1-7-1内田祥三 帝冠様式風の建物
旧東京女子高等師範学校(お茶の水女子大学本館講堂)昭和7年(1932)文京区大塚2-1-1   
お茶の水女子大学門衛所 文京区大塚2-1-1   
お茶の水女子大学門     
お茶の水女子幼稚園昭和6年(1931)文京区大塚2   
同潤会大塚女子アパート(都営大塚女子アパート)昭和5年(1930)文京区大塚3同潤会建築部建築課 日本最初の女子専用アパートで、エレベータ、サンルーム、音楽室、水洗トイレなど完備と言う当時としては非常に高級な施設だった。アールデコ風。惜しむ声が多かったが解体された
文京区立窪町小学校大正15年(1926)文京区大塚3-2-3  復興小学校のひとつ。2006年改修のため解体
大黒湯 文京区大塚3  煙突の辺りの建物が八角形のような感じ
NTT大塚庁舎大正15年(1926)文京区大塚4-44-13  いつのまにか解体
大塚公園昭和3年(1928)文京区大塚4-49  昭和63年〜平成3年に改修。露壇だけが当時のものとして残っている
都バス大塚車庫昭和3年(1928)頃?文京区大塚1  元は東京市電の車庫。廃止されるようなので解体の恐れあり
理容オハラ 文京区大塚5   
大正湯昭和初期文京区大塚5-25-18   
煉瓦の蔵 文京区大塚5   
佐藤探偵事務局 文京区大塚5-2-10  平成5年解体
日本基督教団根津教会大正8年(1919)文京区根津1-19-6 木造登録文化財
ヤナイ果物店 文京区根津1   
はん亭大正6年(1917)文京区根津2-12-15  登録文化財
曙ハウス 文京区根津2  2006年頃解体
旧藤田好三郎邸(旧安田邸)大正7〜8年(1918〜19)文京区千駄木  都指定名勝
島薗邸昭和7年(1932)文京区千駄木3-3-3矢部又吉木造2階 
NTT駒込第一ビル 文京区千駄木5-3-11  解体され、跡地開発(マンション?)をめぐって、近隣住民が反発
旧理化学研究所23号館(日本アイソトープ協会本館)大正9年(1919)文京区本駒込2-28-45 RC3階 
旧理化学研究所43号館(理化学研究所駒込分室)昭和15年(1940)文京区本駒込2-28-49北村耕造  
旧ロシア民間人クラブ(ロシア正教会モスクワ総主教庁駐日ポドヴォリエ) 文京区本駒込2-12-17 RC3階理研駒込分室の斜め向かい
加瀬邸昭和初期文京区本駒込6-17-13土浦亀城  
港 区
古い橋の欄干?大正14年(1925)港区元赤坂1-7  道路のガードレールのようになって片方だけ残っている
迎賓館赤坂離宮明治42年(1909)港区元赤坂2-1-1片山東熊、村野藤吾(改修)、谷口吉郎(和風別館)煉瓦・石造完成直後、明治天皇がその華美さを指摘したために、ほとんど使われることがなく、片山も失望したという。終戦までの間に、まともに使われたのは大正6年の天皇と李王の会見のみともいう。戦後は、国立国会図書館(1948?61年)、法務庁法制意見長官(1948?60年)、裁判官弾劾裁判所(1948?70年)、内閣憲法調査会(1956?60年)、東京オリンピック組織委員会と使用され、その後、迎賓館として改修された。2006〜2008年の間、修繕工事を実施
東宮御所昭和35年(1960)港区元赤坂2-1-1谷口吉郎RC2階改修工事中
明治記念館明治14年(1881)港区元赤坂2-2木子清敬 元は仮宮殿で、移築したもの
アメリカ大使公邸昭和6年(1931) 港区赤坂1-10-5ヴァン・ビューレン・マゴニグル、アントニン・レーモンドRC2階アメリカの在外資産重要文化財指定。昭和天皇とマッカーサーの会談でも有名。大倉集古館の道挟んで反対側
コマツビル昭和41年(1966)港区赤坂2-3-6  コマツ本社
サンヨー赤坂ビル昭和49年(1974)港区赤坂3-5-2  サンヨー食品東京本社
カナダ大使公邸昭和8年(1933)港区赤坂7-3アントニン・レーモンド、ヤン・ヨセフ・スワガー 4/7・8にオープンハウス(一般公開)
赤坂台町アパート昭和30年(1955)港区赤坂7-5  ググマで見ると空き地になってる……
旧乃木邸明治35年(1902)港区赤坂8-11-32北沢虎造  
乃木神社昭和37年(1962)港区赤坂8-11-27   
旧歩兵第一連隊本部(防衛庁20号館)昭和4年(1929)港区赤坂9-7-45   平成13年取り壊し(東京ミッドタウン)
衆議院旧赤坂議員宿舎 港区赤坂   
原宿教会昭和26年(1951)港区北青山2-11-13シィエル・ルージュ・クレアシオン  
東京地下鉄道青山六丁目駅跡(銀座線神宮前駅)1938〜1978港区北青山3  移動して現在の表参道駅となる。旧ホームは電車内から見える
都営青山北町アパート昭和32年(1957)〜昭和43年(1968)港区北青山3-4  かなり大きな団地
青山南町第4アパート昭和33年(1958)港区南青山1-2   
青山南町第1アパート昭和29年(1954)港区南青山2-15   
青山南町第2アパート昭和29年(1954)港区南青山2-15   
梅窓院仏教会館(梅窓院本堂)大正14年(1925)港区南青山2-26-38矢部又吉RC3階 
山田守邸 港区南青山5-11-20山田守 建築家山田守自ら設計した自邸
スペイン大使館昭和2年(1927)港区六本木1-3-29J・M・ガーディナー、 上林敬吉  
金光邸 港区六本木5-5-9   
港区立麻布保育園の門 港区六本木5-6-21   
国際文化会館昭和30年(1955)港区六本木5-11前川國男、吉村順三、坂倉準三  
東洋英和女学院昭和8年(1933)港区六本木5-14ウィリアム・メレル・ヴォーリズ 2003年建替え。デザインはある程度踏襲されているもよう
旧小田良治邸(一時期フィリピン大使館)大正13年(1924)港区六本木5-15J.M.ガーディナー 廃屋、火災後に解体
国税庁麻布分室 港区六本木6-5   
旧麻布区保健所 港区六本木6-16   
旧町田同族会社貸住宅昭和10年(1935)港区六本木7-2山下寿郎 一部現存。いわゆる「乃木坂村」物件
橋本邸大正末期港区六本木7-5-5  平成13年解体
旧歩兵第三連隊兵舎(東京大学生産技術研究所)昭和3年(1928)港区六本木7-22第一師団経理部 一部のみ建物を保存しているが、改修もされているため、それとはわかりづらい。国立新美術館横
東京都道首都高速2号分岐線昭和42年(1967)港区麻布十番4〜六本木3  1967年7月4日開通。1.5km
東京都道首都高速3号線昭和42年(1967)港区六本木3〜渋谷区渋谷4  1967年9月2日開通。2.7km
国際家畜病院 港区元麻布1-5   
ハウスオブロータス(現見晴荘?)昭和14年(1939)以前港区元麻布2-11-20白鳳社建築工務所 クリエイターの事務所になってるようだ
旧松方正熊邸(西町インターナショナルスクール)大正10年(1921)港区元麻布2-14-7  都選定歴史的建造物
日本基督教団安藤記念教会大正6年(1917)港区元麻布2-14-16吉武長一石造都選定歴史的建造物
旧田島繁二邸(南アフリカ共和国総領事公邸)昭和11年(1936)港区元麻布3-1松田軍平  
阿部美樹志邸大正13年(1924)港区元麻布3-12-13阿部美樹志 本邦コンクリート工学の開祖、阿部美樹志の自ら設計した自邸
宮入邸昭和2年(1927)港区西麻布3-1-14  平成13年頃解体
三井八郎右衛門邸昭和27年(1952)港区西麻布3-4 木造2階東京たてもの園へ移築
旧芳澤邸(カサ・デル・ハポン)昭和3年(1928)ころ港区西麻布3-19-2  平成16年解体
カトリック麻布教会昭和27年(1952)港区西麻布3-21-6   
清水邸昭和13年(1938)港区南麻布1   
洋館昭和5年(1930)港区南麻布 1-2-1  解体
外務省飯倉別館(飯倉公館)昭和46年(1971)港区麻布台1-5-3   
麻布南部坂教会昭和8年(1933)港区南麻布4ウィリアム・メレル・ヴォーリズ  
旧石丸邸(コルディアーレ麻布)大正12年(1923)港区南麻布5-2-3西村伊作  
旧逓信省貯金局(麻布郵便局)昭和5年(1930)港区麻布台1-6大蔵省営繕管財局  
外務省狸穴通信分館 港区麻布台1-8   
和朗フラット1号館昭和12年(1937)港区麻布台3上田文三郎 通称「スペイン村」。旧1号館は空襲で焼失。現役のアパート
和朗フラット2号館昭和10年(1935)〜12年(1937)ころ港区麻布台3上田文三郎 現役のアパート
和朗フラット4号館昭和11年(1936)港区麻布台3上田文三郎 内装は近代設備に補修。喫茶店が入っているらしい……
上田邸昭和初め頃?港区麻布台3-4-1  同住宅地へ降りる道をそのまま進んで左の家。和朗フラットの関係者の家??
虎ノ門砂場本店大正12年(1923)港区虎ノ門1-10-6   
日本基督教団芝教会昭和11年(1936)港区虎ノ門1-20-15間野貞吉RC3階 
大倉集古館昭和2年(1927)港区虎ノ門2-10-3伊東忠太 登録文化財
ホテルオークラ本館昭和37年(1962)港区虎ノ門2-10-4  旧大倉邸に作られた
旧大木侯爵邸(日鉄鉱業葺手寮)明治8年(1875)港区虎ノ門4-1-34  平成15年解体
旧岩原邸(旭化成芝寮)昭和初期港区虎ノ門4-1仰木敬一郎和風建築平成15年解体
旧高田邸大正期港区虎ノ門4-1  平成14年解体・タレント高田万由子の親族の家だったらしい
旧菊池邸(菊池寛実記念 智美術館)大正13年(1924)港区虎ノ門4-12   
渡邊ビル昭和6年(1931)港区浜松町2-4-21  浜松町駅前のレトロなビル。帝冠様式。登録文化財
芝口五号館 港区新橋1-5-6?   
新一ビル別館 港区新橋1?   
十仁病院 港区新橋1-14-2  廃墟となっている
堤第一ビル大正9年(1921)港区新橋1-15-4  傷みが目立つ
第一光和ビル昭和32年(1957)港区新橋1-15-5 8階 
掘商店(堀ビル)昭和7年(1932)港区新橋2-5-2公保敏夫 登録文化財
中和ビル(キングイーグルズ)昭和4年(1929)港区新橋2-6-4  解体
甘糟ビル昭和5年(1930)?港区新橋2-6-4復興助成会社 解体
新橋亭本社ビル昭和21年(1946)?港区新橋2-6-4  解体
新橋駅前ビル1号館昭和41年(1966)港区新橋2-20-15   
新橋駅前ビル2号館昭和41年(1966)港区新橋2-21-1   
蒸気機関車 C11 292号  港区新橋2  新橋駅日比谷口駅前広場においてある蒸気機関車。非常に有名
東京高架橋(新永間市街線高架橋)品川〜烏森(新橋)明治42年(1909)    
東京高架橋(新永間市街線高架橋)烏森〜有楽町 明治43年(1910)    
東京高架橋(新永間市街線高架橋)有楽町〜呉服橋(仮)明治43年(1910)    
旧東京高速鉄道新橋駅(東京メトロ留置線)昭和14年(1939)港区新橋2  短期間だけ存在した駅。ホームも一部残っており、時々公開している
東京メトロ銀座線(新橋−渋谷)昭和14年(1939)港区新橋2  東京高速鉄道が建設した部分
新労働通信社ほか 港区新橋5-6-5  看板建築
旧新橋停車場(参考物件) 港区東新橋1-5  汐留シオサイトの高層ビルの谷間にある。復元、と言うよりはデザインを真似て作った記念的別施設
西新橋2森ビル昭和31年(1956)港区西新橋  一番最初に出来た森ビル(森ビルは2が先に出来た)。場所がよくわからない
西新橋3森ビル昭和34年(1959)港区西新橋1-4-10   
西新橋1森ビル昭和32年(1957)港区西新橋1-12-1  二番目に出来た森ビル。時代の割には大きなビル
赤門ビル昭和4年(1929)港区西新橋1-13-1  第一森ビルの隣。解体
旧南桜小学校(港区住宅公社)昭和3年(1928)港区西新橋2-10-19東京市土木局建築課 復興小学校
南桜公園昭和4年(1929)港区西新橋2-10-13  復興公園。平成15年に改修。手押しポンプなどがあるが、元の公園の遺構は一部の縁石らしきものがあるのみ
二宮尊徳像(皇紀2600年記念)昭和15年(1940)港区西新橋2-10-13  南桜公園の一角にあるが、元々は隣接する南桜小学校にあったものと思われる。有馬頼寧伯爵の揮毫
旧愛宕高等小学校(その後、都立港南高校)昭和3年(1928)港区西新橋3-18-13  復興小学校・RC3階建校舎の部分
東京慈恵医科大学本館昭和8年(1933)港区西新橋3-19-18野村茂治、赤石真、奥村精一郎 建替えの予定あり
東京慈恵医科大学付属病院昭和5年(1930)港区西新橋3-25-8慈恵会建築部・高松政雄  
産業安全会館昭和46年(1971)頃港区芝5-35   
旧三田警察署昭和44年(1969)頃港区芝5-36付近   
東京都港都税事務所 港区芝5-36-5   
東京タワー昭和33年(1958)   東京スカイツリー建設に伴い、電波塔から観光地への脱却を模索中
共立薬科大学3号館昭和7年(1932)港区芝公園1-5臼井工務店 解体
区立大門際公衆便所 港区芝公園1-7  半地下式の便所
オランダ王国大使館昭和2年(1927)港区芝公園3-6-3J・M・ガーディナー  
日本聖公会聖オルバン教会昭和31年(1956)港区芝公園3-6-25アントニン・レーモンド  
東京都道首都高速2号線昭和42年(1967)港区芝公園4〜東麻布3  1967年7月4日開通。0.9km
東京都道首都高速2号線昭和42年(1967)港区三田1〜品川区戸越1  1967年9月30日開通。5.9km
旧逓信省簡易保険局(東京簡易保険事務センター)昭和4年(1929)港区三田1-4−60逓信省  
旧東洋研磨剤(トーホー薬局)昭和6年(1931)港区三田1-8-2   
横田畳店 港区三田1-8-2   
石森襖建具店 港区三田1-9-4   
國徳商事 港区三田1-9-7   
(有)日完工芸 港区三田1-10-14   
小山湯大正10年(1921)港区三田1-11-2   
旧三井家綱町別邸(綱町三井倶楽部)大正2年(1913)港区三田2-3コンドル  
武家屋敷御長屋江戸時代港区三田2-3  三井倶楽部
イタリア大使館 港区三田2-5   
旧田中長兵衛邸大正10年(1921)以前?港区三田2-6-2  解体
慶応義塾大学図書館明治45年(1912)港区三田2-15-45曾禰中條建築事務所煉瓦造2階重要文化財。
慶応義塾塾監局大正15年(1926)港区三田2-15-45曾禰中條建築事務所  
慶応義塾大学第一校舎昭和12年(1937)港区三田2-15-45曾禰中條建築事務所  
三田演説館明治8年(1875)港区三田2-15-45 木造2階重要文化財。なまこ壁
萬來舎昭和26年(1951)港区三田2谷口吉郎 慶応大学。庭園はイサム・ノグチ。移築
旧蜂須賀邸の門昭和初期港区三田2  オーストラリア大使館
三田4丁目のスクラッチ門 港区三田4   
願海寺付属洋館明治港区三田4-2-10   
フレンズセンター大正12年(1923)港区三田4-8-19ウィリアム・メレル・ヴォーリズ  
同潤会三田アパートメント昭和2年(1927)港区三田5-7  解体
旧久原邸(八芳園)明治末期港区白金台1-1 和風建築 
明治学院礼拝堂大正5年(1916)港区白金台1-2-37ウィリアム・メレル・ヴォーリズ木造区指定文化財
明治学院インブリー館明治22年(1889)港区白金台1-2-37 木造2階重要文化財
明治学院旧神学校舎(記念館)明治23年(1890)港区白金台1-2-37ヘンリー・M・ランディス 区指定文化財・明治27年(1894)改築
旧遠山邸(三菱電機高輪荘) 港区白金台2-6 和風建築登録文化財
旧畠山一清邸(般若苑)昭和14年(1939)港区白金台2-20 和風建築薩摩藩主島津重豪別邸(下屋敷)で、その後寺島宗則伯爵邸だった場所に奈良般若寺の遺構や、加賀前田家重臣横山家の能舞台などを移築したものなど一部京都へ移転したとも言われるが、事実上解体へ。畠山一清は荏原製作所創始者
頌栄女学校記念堂昭和12年(1937)港区白金台2-26-5岡見健彦 復元か?
旧国立公衆衛生院(国立保健医療科学院白金庁舎)昭和15年(1940)港区白金台4-6-1内田祥三 空き家で立ち入り出来なくなっている。再利用か解体の予定かはっきりわからない
旧伝染病研究所(東京大学医科学研究所)昭和12年(1937)港区白金台4-6-1内田祥三  
旧渡辺甚吉邸(スリランカ大使館邸)昭和9年(1934)港区白金台4-19-10遠藤健三  
旧朝香宮邸(東京都庭園美術館)昭和8年(1933)港区白金台5-21-9宮内省内匠寮、アンリ・ラパン(内装) 都指定文化財。庭園美術館は有料
古川橋 白金1〜南麻布2  古川(渋谷川)にかかる橋。東京都道415号高輪麻布線
三光起業白金寮(服部邸)昭和8年(1933)港区白金2-5-36高橋貞太郎  
野村邸昭和3年(1928)港区白金2-7-45  平成18年解体
北里大学大正4年(1915) 港区白金5-9  昭和54年に明治村へ移築
聖心女子学院正門・赤煉瓦塀明治42年(1909)港区白金4-11-1ヤン・レツル  
聖心女子学院大正13年(1924)港区白金4-11-1アントニン・レーモンド、ヤン・ヨセフ・スワガー 増築部がスワガー
聖心女子学院英語科大正15年(1926)港区白金4-11-1   
三越湯昭和3年(1928)港区白金5-12-16  解体建替え
鳥平 港区白金5-14  看板建築
星野屋/快生堂薬局 港区白金5-14  看板建築
きえんきえら大正7年(1918)港区白金5-14-8 木造凝ったつくりの木造建築
清水畳店 港区白金6-2-1付近遠藤新  
大久保だんご 港区白金6-4-4  看板建築
ノーベルストアー/小泉理髪店 港区白金6-5-1   
佐藤果物店/城所観賞魚店 港区白金6-5-3  銅板壁
旧加地邸(森ビル寮)昭和6年(1931)港区白金6-16  平成14年解体
とらや大正14年(1925)頃港区高輪1-20-8  昭和30年に改造
堀江歯科大正14年(1925)頃港区高輪2-2-27   
高輪消防署二本榎出張所昭和8年(1933)港区高輪2-6-17越智操RC3階昭和60年に改修
旧東京市立高輪台小学校(港区立高輪台小学校)昭和10年(1935)港区高輪2-8  インターナショナル様式。都選定歴史的建造物
口羽医院大正15年(1926)港区高輪3-7-7  解体
旧竹田宮邸(高輪プリンスホテル洋館)明治44年(1911)港区高輪3-13-1片山東熊、木子幸三郎、渡辺譲鉄骨煉瓦2階 
旧北白川宮邸(高輪プリンス会館) 港区高輪3-13片山東熊 解体
旧鈴木邸(味の素記念館)昭和7年(1932)港区高輪3-13−65  平成15年解体
日本キリスト教団高輪教会昭和7年(1932)港区高輪3-15-15岡見健彦木造 
木村春東邸明治40年(1907)港区高輪3-18木村春東 木村春東は徳川慶喜の従医だった人
旧朝吹常吉邸(東芝高輪倶楽部)大正14年(1925)港区高輪3-19-1ウィリアム・メレル・ヴォーリズRC2階 
柴田邸昭和20年(1945)頃港区高輪3-19-5   
旧ホテル品川別館昭和2年(1927)頃港区高輪4-21-4   
三徳部品 港区高輪3-22  銅板建築
京品ホテル昭和5年(1930)港区高輪4-10吉田享二RC4階品川駅前。廃業後の雇用トラブルで注目を浴びる。解体される可能性が非常に高い
旧岩崎弥之助邸(開東閣)明治41年(1908)港区高輪4-25-33コンドル 戦災を受け修復される。旧伊藤博文邸跡地・非公開
芝浦木村屋・旧木村邸大正10年(1921)?港区芝浦1-7-1   
旧芝浦見番(協働会館)昭和4年(1929)港区芝浦1-11 和風建築遊郭見番の建物で現存はおそらくこれのみか。シートが掛けられ、使用していない模様
西原衛生工業所本社昭和30年(1955)港区芝浦3-6-18   
芝浦工大本館昭和12年(1937)港区芝浦3-9-14  2006年頃解体
沖電気工業(株)芝浦3号館昭和9年(1934)港区芝浦4-10-12  解体
旧東京電燈株式会社(日本電気計器検定所別館2号館)昭和4年(1929)港区芝浦4-14-13   
浜松町駅 港区海岸1-3-1   
モノレール浜松町駅昭和39年(1964)港区海岸1-3-1  複線化に伴い移転する予定なので、現状の駅舎は改築の可能性あり
浜松町駅小便小僧(山手線外回りホーム田町側) 港区海岸1-3-1  1952年10月14日に鉄道開通80周年記念に新橋駅の嘱託歯科医から寄贈されたものだが、誰がいつ作ったのかは不明。ベルギーの小便小僧のレプリカと思われる。いろんな服を着せ替えられることで有名
東京モノレール羽田線(開通時部分)昭和39年(1964)港区海岸1-3-1〜大田区羽田空港1-1-2付近  旧羽田駅付近は現存しない
東京モノレール羽田駅(開通時)昭和39年(1964)大田区羽田空港1-1-2付近  空港ビル移転に伴い解体・埋没
芝浦第1アパート昭和35年(1960)港区海岸1-4   
臨港線古川可動橋 港区海岸1〜海岸2  かつて存在した可動橋のひとつ。新浜崎橋のやや海側付近にある橋
臨港線芝浦駅跡 港区海岸2  日の出埠頭の南側、南浜橋からの道の終点付近。ノーリツ綱機(西本興産日の出ビル)付近
東京都道首都高速1号線1963年港区海岸3〜品川区南大井3  6.4km。1963/12/21開通
東京都道首都高速2号線1964年港区海岸1〜芝公園4  1.4km。1964/10/1開通
大田区
東京工業大学本館昭和8(1934)大田区石川町1橘節男  
東京工業大学旧分析化学教室昭和6年(1931)大田区石川町   
東京工業大学地球史資料館は目黒区に     
しのはら(元司法書士事務所)昭和初期大田区大森北   
鈴木質店 大田区大森北   
蒸気機関車 C57 66 入新井西児童交通公園 大田区大森北4-27?3  動態保存なので動かすことが出来る
旧小原邸(大森復興教会)大正14年(1925)大田区山王   
カトリック田園調布教会1954(昭和29)年大田区   
河原家住宅大正14年(1925)大田区南馬込1-55-8  明治18年建設の旧馬込小学校の玄関と教場部分を移築して和風住宅に改造,その後昭和38年に,同校新校舎の時計台(大正14年建設)を移築して主屋の書斎の上部に設置。登録有形文化財
旧六郷橋大正14年(1925)大田区六郷〜川崎市川崎区本町増田淳 タイドアーチと桁橋の組み合わせ。1984年解体中に橋桁が落下。5人が死亡し13人が負傷した。川崎の稲毛公園と東京の宮本台緑地公園に親柱が残っており、宮本台には橋門もある
蒸気機関車 D51 428 東調布公園  大田区南雪谷5-13-1   
蒸気機関車 東武鉄道 34 萩中公園 大田区萩中3-26-46  無くなっている??
旧モノレール羽田駅跡 大田区羽田空港1  かつて存在したモノレールの終点。土の中に埋めもどし
東京都道首都高速1号線 大田区羽田空港1〜羽田旭町  1966年12月21日完成。0.9km
東京都道高速横浜羽田空港線 大田区羽田3〜羽田旭町  1968年11月28日完成。0.9km
北 区
旧・古河邸(古河庭園内)大正6年(1917)北区西ヶ原 煉瓦・石造2階 
渋沢史料館青淵文庫大正14年(1925)北区西ヶ原2-16田辺淳吉RC2階重要文化財・都選定歴史建造物
渋沢史料館晩香廬大正6年(1917)北区西ヶ原2-16田辺淳吉木造重要文化財・都選定歴史建造物
旧内閣印刷局滝野川分室工場(財務省印刷局滝野川工場)昭和5年(1930)北区西ヶ原   
EL EF58 61 JR東日本田端運転所 北区東田端2  かつてのお召し列車牽引指定機。臨時列車で運用される場合もある
酒類総合研究所(旧醸造試験場) 北区滝野川2-6-30   
旧陸軍造兵廠火工廠本部(北区立中央公園文化センター) 北区十条台1-2-1   
稲荷湯昭和5年(1929)北区滝野川   
亀の子たわし西尾商店大正11年(1922)北区滝野川   
音無橋昭和5年(1929)北区滝野川〜王子本町1   
蒸気機関車 D51 853 飛鳥山公園 北区王子1-1-3   
女子聖学院宣教師館明治40年(1907)北区中里   
東京書籍印刷工場・事務棟・守衛所(教科書図書館東書文庫)昭和11年(1936)北区堀船1・栄町   
船方神社の煉瓦蔵 北区堀船   
カトリック赤羽教会昭和26年(1951)北区赤羽・赤羽西   
黒田機器株式会社赤羽工場昭和10年(1935)以前北区岩渕町   
豊島区
立教大学本館(モリス館)大正7年(1918)豊島区西池袋3-34-1 煉瓦造2階都歴史的建造物
立教大学図書館旧館大正7年(1918)豊島区西池袋3-34-1 煉瓦造2階都歴史的建造物
立教大学チャペル大正9年(1920)豊島区西池袋3-34-1 煉瓦造 
立教大学第一食堂大正7年(1918)豊島区西池袋3-34-1 煉瓦造都歴史的建造物
立教大学2号館大正7年(1918)豊島区西池袋3-34-1  都歴史的建造物 
立教大学3号館大正7年(1918)豊島区西池袋3-34-1  都歴史的建造物 
立教大学旧宣教師館昭和2年(1927)豊島区西池袋3-34-1   
立教大学礼拝堂大正7年(1918)豊島区西池袋3-34-1  都歴史的建造物
立教大学大学院ライフスナイダー館大正15年(1926)豊島区西池袋3-34-1   
立教大学診療所大正10年(1921)豊島区西池袋3-34-1   
立教大学大学院4号館昭和12年(1937)豊島区西池袋3-34-1   
自由学園明日館中央棟大正10年(1921)豊島区西池袋2-31-3 木造重要文化財
自由学園明日館西教室棟大正10年(1922)豊島区西池袋2-31-3 木造重要文化財
自由学園明日館東教室棟大正10年(1925)豊島区西池袋2-31-3 木造重要文化財
自由学園明日館講堂大正10年(1927)豊島区西池袋2-31-3遠藤新木造重要文化財。明日館教室棟の向かいにある建物
蒸気機関車220形式221(西武鉄道3号機) 昭和鉄道高校内  豊島区池袋本町   
蒸気機関車 5650 5654     昭和鉄道高校交通資料館  豊島区池袋本町   
旧制高等科図書館(学習院大学史料館)明治42年(1909)豊島区目白1-5-1   
旧制高等科理科校舎(学習院大学南一号館)昭和2年(1927)豊島区目白1-5-1   
旧制高等科文科校舎(学習院大学西一号館)昭和5年(1930)豊島区目白1-5-1   
学習院大学図書館昭和38年(1963)豊島区目白1-5-1   
学習院大学中央教室(ピラミッド校舎)昭和35年(1960)豊島区目白1-5-1前川國男 解体
旧皇族学生用寄宿舎(学習院大学東別館)大正2年(1913)豊島区目白1-5-1   
乃木館明治41年(1908)豊島区目白1-5-1   
学習院大学正門明治41年(1908)豊島区目白1-5-1   
蒸気機関車 C58 407 大塚台公園  豊島区南大塚3-27-1   
新宿区
東京理科大学近代科学資料館(東京物理学校)明治39年(1889)新宿区若宮町20 RC2階復元校舎(平成2年)。坂の途中にある
最高裁判所長官公邸(旧馬場邸)昭和3年(1928)新宿区若宮町39吉田鉄郎 江戸時代は旗本大久保甚四郎邸だった場所。解体の是非が論議されている
東京女子医科大学病院1号館昭和5年(1930) 増田建築事務所RC5階 
東京女子医科大学臨床講堂昭和5年(1930)新宿区河田町増田建築事務所  
小笠原伯爵邸昭和2年(1927)新宿区河田町10-10 RC5階?都選定歴史的建造物
旧第一信用金庫本店・旧柳町病院(新浪漫亭)大正14年(1925)新宿区市谷柳町1  433号沿い。壁は綺麗に塗りなおされている
オリンピア 新宿区市谷柳町15付近  看板建築。解体されているような感じだ
東京日仏学院昭和26年(1951)新宿区市谷船河原町15坂倉準三  
旧高橋建築事務所(アユミギャラリー)昭和22年(1947)新宿区矢来町114高橋博 ハーフティンバー様式
旧陸軍士官学校講堂・陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地1号館(現:防衛省市ヶ谷記念館)昭和12年(1937)市谷本村町5-1第一師団経理部 平成7年頃解体(一部のみ復元)。極東国際軍事裁判法廷・三島由紀夫割腹事件で有名
曙 橋(跨道橋)昭和32年(1957)新宿区片町〜荒木町  靖国通りの上に架かる外苑東通りの陸橋。谷間があり、昔から交通の便が悪かった場所で、1920年代から建設の計画があった
聖徳記念絵画館大正15年(1926)新宿区霞岳町小林政紹、佐野利器、小林政一RC 
明治神宮野球場大正15年(1926)新宿区霞ヶ丘町3-1  改修中
明治神宮第二野球場昭和39年(1964)新宿区霞ヶ丘町3-2   
神宮外苑プール昭和6年(1931)新宿区霞岳町明治神宮奉賛会  
慶応大学病院別館昭和7年(1932)新宿区大京町30曽禰中條建築事務所  
慶応大学予防医学教室昭和4年(1929)新宿区大京町30曽禰中條建築事務所  
慶応大学北里記念医学図書館昭和12年(1937)新宿区大京町30和田順顕   
日本ワックスマン財団昭和31年(1956)新宿区大京町30  慶応大学病院の敷地にある小さな建物
日本基督教団東京若葉基督教会昭和24年(1949)新宿区若葉1-16   
学習院初等科の門  新宿区若葉1-23   
上智大学明泉寮(旧犬養邸)昭和12年(1937)新宿区南元町26  平成11年に解体
文学座昭和25年(1950)新宿区信濃町   
旧デ・ラランデ邸(三島食品工業)明治43年(1910)新宿区信濃町26デ・ラランデ 建築家デ・ラランデ邸。解体して江戸東京たてもの園へ移築予定
信濃町教会昭和5年(1930)新宿区信濃町30岡田信一郎 平成15年に解体・建て替え
S邸昭和7年(1932)新宿区信濃町松下圭一  
旧東京市早稲田尋常小学校(区立東京市早稲田小学校)昭和3年(1928)新宿区早稲田南町25渡辺仁設計事務所 曲面を多用した典型的な復興小学校建築
集合住宅昭和4年(1929)新宿区西早稲田1-4-21 木造住宅地の奥にあってわかりにくいが、かなり大きな建物
早稲田大学1号館昭和9年(1934)新宿区西早稲田1-6-1桐山均一  
早稲田大学3号館昭和8年(1933)新宿区西早稲田1-6-1桐山均一  
早稲田大学旧図書館(早稲田大学会津八一記念博物館) 大正15年(1926)新宿区西早稲田1-6-1今井兼次、桐山均一、内藤多仲  都選定歴史建造物
早稲田大学5号館(坪内博士記念演劇博物館)昭和3年(1928)新宿区西早稲田1-6-1今井兼次RC3階 
早稲田大学6号館昭和10年(1935)新宿区西早稲田1-6-1桐山均一  
早稲田大学8号館昭和6年(1931)新宿区西早稲田1-6-1  平成14年解体
早稲田大学11号館昭和12年(1937)新宿区西早稲田1-6-1   
早稲田教会(スコットホール)大正9年(1920)新宿区西早稲田2-3-1ヴォーリズ設計煉瓦造り2階都選定歴史建造物・平成3年(1991)改修
早稲田大学各務記念材料技術研究所(旧鋳物研究所)昭和13年(1938)新宿区西早稲田2-8-26桐山均一   
早稲田大学各務記念材料技術研究所実験棟 新宿区西早稲田2-8-26?   
文化住宅 新宿区西早稲田2  材料研究所のそばの住宅街にある、小さな洋館つきの住宅
早稲田大学21号館(大隈記念講堂)昭和2年(1927)新宿区戸塚町1-104佐藤功一・佐藤武夫RC3階重要文化財
旧大隈邸守衛詰所(早稲田大学総合案内所)明治時代新宿区戸塚町1   
旧東京市牛込高等小学校(区立牛込原町小学校)大正15年(1926)新宿区牛込原町2-38  平成13年解体
旧内藤多仲博士自邸(耐震資料館・早稲田大学内藤多仲博士記念館)大正15年(1926)新宿区若松町76-8木子七郎 「耐震壁」のモデル住宅
日本館昭和11年(1936)新宿区高田馬場1-9-1  いわゆる下宿屋さん
諏訪神社聖跡木札昭和18年(1943)新宿区高田馬場1-12  境内の林の中に明治天皇聖跡の解説をした昭和18年の木札がそのまま残っていて、この種の遺構としては珍しい
玄国寺庫裏・書院明治初頭新宿区高田馬場1-12-10  旧岩倉具視邸(移築)
東京電力目白変電所大正2年(1913)頃?新宿区高田馬場3-6  平成19年より解体
新宿コマ劇場昭和31年(1956)新宿区歌舞伎町1-19-1  閉鎖に伴い解体し再開発される予定
新宿東宝会館昭和44年(1969)新宿区歌舞伎町1-19-2  コマ劇場とともに解体再開発予定
新宿末廣亭昭和21年(1946)新宿区新宿3-6-12   
旧ほてい屋ビル+伊勢丹(伊勢丹)大正15年(1926)ほてい屋昭和8年(1933)伊勢丹新宿区新宿3-14清水組 都選定歴史的建造物。交差点角の局面構造部分は旧「ほてい屋ビル」部分で、その周りに伊勢丹部分が建設された
新宿三越昭和5年(1929)新宿区新宿3-29曽禰中條建築事務所  
旧国鉄新宿ステーションビル(ルミネエスト新宿)昭和39年(1964)新宿区新宿3-38-1  新宿ステーションビル→マイシティ→ルミネエスト。西武新宿線が乗り入れる予定だったといわれる
甲州街道新宿跨線橋大正14年(1925)新宿区新宿3  新宿駅南口の前を走る道路。一日当たり駅利用者のうち約43万人が南口を利用し、車6万台が走るため、拡幅工事を実施して古い橋は解体される予定
新宿駅東口馬水槽明治39年(1906)以前新宿区新宿3  明治39年に、東京の上水道整備に当たった中島鋭治博士がイギリス視察中に貰ったものを、旧東京市役所に寄贈し置かれたもの。その後、麹町や淀橋浄水場など水道関係施設に移転を繰り返し、昭和39年、淀橋浄水場廃止に伴い、東口広場に設置されたもの。世界的に見ても現存しているものは非常に少ない(3つしか残ってないという説も)。19世紀のイギリスで作られたものと思われる。新宿区指定有形文化財
海老沢ビル昭和34年(1959)新宿区新宿5-10-10 5階 
旧四谷第五小学校(区役所第二分庁舎)昭和9年(1934)新宿区新宿5-18-21 古茂田甲午郎  
旧東京医学専門学校(東京医科大学本館)昭和7年(1932)新宿区新宿6-1-1大森茂  
旧川崎銀行新宿支店〜旧日動火災海上保険KK新宿支店 新宿区新宿・北新宿   
小田急百貨店昭和42年(1967)?新宿区西新宿1-1-3   
松岡セントラルビル昭和44年(1969)新宿区西新宿1-7-1   
スバルビル 新宿区西新宿1-7-2  ロケ集合場所として有名らしい
旧安田生命本社(明治安田生命新宿ビル) 新宿区西新宿1-9-1   
小島屋乳業 新宿区西新宿7-22-27   
日動火災海上 新宿区北新宿2-21   
保善高校昭和14年(1939)新宿区大久保3-6-2  平成14年頃解体
M邸昭和6年(1931)新宿区中井2北見米蔵  
A邸大正15年(1926)新宿区中井2安東義喬  M邸の向かい
K邸大正13年(1924)頃新宿区中井2   
旧金山平三邸大正13年(1924)新宿区中井2  現在はT邸。坂をあがったあたり
N邸昭和8年(1933)新宿区中井2-19吉武東里  2006年4月頃解体??
刑部人邸昭和8年(1933)新宿区中井2-19吉武東里 スペイン風・刑部人は洋画家・2006年4月頃解体
O邸 新宿区中井2-19大熊喜邦 ハーフティンバー様式・上と隣接。2006年4月頃解体??
林芙美子記念館昭和16年(1941)新宿区中井2-20-1 山口文象 数奇屋風
N邸大正14年(1925)新宿区中落合1阿部美樹志 六天坂の途中の洋館か?
佐伯祐三アトリエ大正9年(1921)新宿区中落合2-4-22   区立佐伯公園内に保存、区史跡
聖母病院昭和6年(1931)新宿区中落合2-5ヒンデル 都選定歴史的建造物
聖母病院チャペル昭和38年(1963)新宿区中落合2-5   
小川邸大正9年(1921)新宿区中落合2-16  2006年頃解体か
日本画家W邸(第一文化村)昭和初期?新宿区中落合3  W邸とI邸は並んでいる。あまり古い感じはしない
I邸(第一文化村)昭和初期?新宿区中落合3  W邸とI邸は並んでいる。あまり古い感じはしない
小野田製油所 昭和初期?新宿区中落合3-16-11   
上田医院 新宿区中落合4-4-15   
旧石橋湛山邸大正末頃?新宿区中落合4-6あたり  ハーフティンバー様式
T邸昭和初期新宿区中落合4   
K邸大正12年(1923)新宿区下落合2ライト?  
Y邸大正末頃?新宿区下落合2  K邸の隣で、年代もほぼ同時期?
旧学習院昭和寮(日立目白クラブ)昭和3年(1928)新宿区下落合2-13-28宮内省 都選定歴史的建造物・スペイン様式
目白ヶ丘教会昭和25年(1950)新宿区下落合2-15   
日本聖書神学校宣教師館(旧目白福音教会宣教師館)大正9年(1920)新宿区下落合3-14-16 木造 
日本聖書神学校図書館 新宿区下落合3-14-16   
下落合のスパニッシュの塀 新宿区下落合3-14??  聖書神学校のそばにあると言うが……?
目白聖公会昭和4年(1929)新宿区下落合3-19-4   
旧前田子爵邸 新宿区下落合4-9?  マンション建設問題あり・敷地は「タヌキの森」で有名
珈琲豆屋 豆工房 新宿区下落合   
旧東邦電力社宅昭和初期新宿区下落合   
イワサキ洋服店 新宿区西落合   
N邸昭和10年(1935)新宿区西落合ツボヤ組  
坂本小児科  新宿区内藤町  改築された?
新宿御苑旧洋館御休所(新宿御苑管理事務所)昭和2年(1927)新宿区内藤町宮内省内匠寮  重要文化財
新宿御苑旧大木戸門昭和2年(1927)新宿区内藤町   
新宿御苑台湾閣昭和2年(1927)新宿区内藤町森山松之助 都選定歴史的建造物
新宿御苑旧新宿門昭和2年(1927)新宿区内藤町   
陸軍戸山学校将校集会所遺構昭和?新宿区戸山2  戸山教会の下層の石造りの部分がそれだと言われるが詳細不明
都営戸山ハイツ昭和45年(1970)新宿区戸山2  元々は米軍払い下げ木造住宅団地として昭和24年に建設開始。1970年から現在のコンクリート式に建替え
学習院女子中高科C館明治時代新宿区戸山町3-20-1   
学習院女子中高科4号館明治43年(1910)新宿区戸山町3-20-1   
学習院女子中高科正門明治10年(1877)新宿区戸山町3  神田の学習院から移築、重要文化財
同潤会江戸川アパートメント昭和9年(1934)新宿区新小川町2-10同潤会建設部 同潤会最後のアパート。当時「東洋一」と呼ばれた。平成15年解体
四谷見附橋大正2年(1913)新宿区四谷1〜千代田区麹町6  都内最古の鉄製アーチ橋。1987年に解体され、八王子市の長池公園に復元。現在は、長池見附橋と呼ばれている
御所トンネル 新宿区四谷1〜港区元赤坂2〜新宿区若葉1  赤坂離宮と学習院の下を通る中央快速線と各駅停車線のトンネルが4つあり、うち各駅停車線1つは煉瓦アーチ状で残りは四角いコンクリートトンネル
渋谷区
東急百貨店東横店東館昭和8年(1933)渋谷区渋谷2  一見するとわからないが、渋谷川の上に建っていて、日本で唯一の橋上デパート(このため地下がない)。1950年から53年まで東館と西館(玉電ビル)の上をロープウェイが通っていた。東急東横線の地下化に伴う渋谷駅改装計画によって2012年以降に解体される予定
宮益坂アパート(宮益坂ビルディング)昭和28年(1953)渋谷区渋谷2-19  都が分譲した最初のマンション(唯一と言う説もある)エレベーターにはエレベーターガールもいたと言う解体の話があるらしい・映画のロケ地になったこともある
東急東横線渋谷駅ホーム 渋谷区渋谷3  2012年までに地下化され、解体。その後、埼京線ホームが移転する予定
渋谷駅埼京線ホーム 渋谷区渋谷3  東急東横線の地下化後、現在の東横線ホームに埼京線ホームを作るため、今の埼京線ホームは廃止か。ただ新南口用連絡通路として残る可能性も濃厚
清水ビル昭和38年(1963)渋谷区渋谷3-6-3  10階
オリエンタルビル昭和37年(1962)渋谷区渋谷3-18-3  10階
青山学院大学間島記念館(旧図書館)昭和4年(1929)渋谷区渋谷4清水組RC3階正面だけ残して、高層改築の話あり
青山学院大学1号館大正15年(1926)渋谷区渋谷4清水組RC3階改築の可能性あり
青山学院大学2号館大正15年(1926)渋谷区渋谷4清水組 改築の可能性あり
青山学院大学法人本部昭和6年(1931)渋谷区渋谷4清水組RC3階改築の可能性あり
青山学院高等部PS講堂昭和15年(1940) ヴォーリズ  
旧千葉常五郎邸(ロアラブッシュ)大正7年(1918)竣工渋谷区渋谷4-2-9黒川仁三 子息の結婚を機に建てたといわれる洋館。現在はレストラン
東京都道首都高速3号線昭和39年(1964)渋谷区渋谷4〜道元坂1  1964年10月1日完成。1.3km
渋谷区総合庁舎(区役所ほか)昭和40年(1965)渋谷区宇田川町1-1  1964年、1966年と言う説もあるが……
旧玉電ビル(東急百貨店東横店西館・東急プラザ)昭和12年(1937)渋谷区道玄坂1  旧玉電ビルは4階建て。昭和29年に大増築され11階建てに(当時日本で一番高い建物だったらしい)。
渋谷駅ハチ公像昭和23年(1948)渋谷区道玄坂2安藤 士 初代銅像(安藤照作・1934年製)は戦時中に金属供出で熔かされて現存しない
東急・並木橋駅跡昭和20年(1945)渋谷区東1-31  渋谷を出て、並木橋の手前のところに、高架上や側面、下面に遺構がある。案内の文字が裏側にある。昭和20年廃止。周辺の高架全部解体予定
広尾小学校昭和7年(1932)渋谷区東3-3市ノ瀬仁重郎他 復興小学校のひとつ
温故学会昭和2年(1927)渋谷区東2-9-1小笹 某(清水組) 渋谷の住宅街の中にある
日赤医療センター内郵便局 渋谷区広尾4-1-24  センター内とあるが実際にはセンター敷地の角にある
旧久邇宮邸(聖心女子大学パレス)大正13年(1924)渋谷区広尾4-3-1森山松之助 登録有形文化財。毎年3月の平日に予約制で見学できるらしい
同潤会渋谷アパートメント(代官山アパート)昭和2年(1927)渋谷区代官山10  保存運動があった物件。解体。現:代官山アドレス
JR原宿駅大正13年(1924)渋谷区神宮前 木造東京最古の駅舎現存
原宿駅明治神宮側臨時ホーム・改札 渋谷区神宮前  正月3が日に使われる。Suica端末はあるが、改札そのものは自動ではなく人間
原宿駅側部乗降場(宮廷ホーム)大正14年(1925)   皇室専用駅・現在はほとんど使用されていない
原宿団地 渋谷区神宮前3-37  キラー通り沿いに立つ団地。「団地萌え」の人たちの間で人気の物件
原宿教会 渋谷区神宮前3-42-1   
同潤会青山アパートメント大正15年〜昭和2年(1926〜1927)渋谷区神宮前4 RC3階原宿表参道の象徴的建物だったが、多くの反対にもかかわらず解体。逆に地元では解体賛成派が多かったとも言う。跡地は表参道ヒルズとなる。ヒルズの設計者安藤忠雄が解体に消極的だったこともあって、ヒルズの端に一部外観を復元した建物が建っている
コープオリンピア昭和40年(1965)渋谷区神宮前6-35-3清水建設RC8階神宮前から坂道に沿って建つ高級マンション
五輪橋昭和39年(1964)渋谷区神南2-1-1   
渋谷住友信託ビル昭和37年(1962)渋谷区神南1-22-3  9階
岸記念体育館 渋谷区神南1-1   
麻緒ビル昭和38年(1963)渋谷区代々木1-31-17  5階
JR新宿ビル 渋谷区代々木2-2-6  本社ビルと駅の間にある古いビル
千駄ヶ谷駅オリンピックホーム昭和39年(1964)渋谷区千駄ヶ谷1-35-10  臨時ホーム。ほぼ使われていない
タイムゾーン(旧マルヤス)ビル昭和38年(1963)渋谷区千駄ヶ谷4-16-5  4階
平和ビル昭和24年(1949)渋谷区千駄ヶ谷5-20-12 4階 
日本ブランズウィックビル昭和39年(1964)渋谷区千駄ヶ谷5-27-7  9階
新宿貨物駅 渋谷区千駄ヶ谷5  高島屋タイムズスクエア付近。昭和59年1月31日に廃止。中央新幹線の管制センター構想、あるいは上越新幹線の新宿駅構想もあったらしい
旧初台駅跡昭和39年(1964)渋谷区初台1  京王新線が出来るときに廃止された旧初台駅は、元々地上にあったのを、東京オリンピックの都市開発で地下に移した。地下駅の遺構は残っていて、電車内から見れる
旧幡ヶ谷駅跡および地上路線跡 渋谷区初台1  地上時代の初台−幡ヶ谷の跡は鉄道柵などがわずかに残っている
東海大学代々木校舎昭和30年(1955)渋谷区富ケ谷2-28-4山田守  
南平台アジアマンションビル昭和38年(1963)渋谷区南平台町4-8  7階
目黒区
旧制第一高等学校本館(東京大学教養学部1号館)昭和8年(1933)目黒区駒場3内田祥三、清水幸重 登録文化財
旧制第一高等学校講堂(東京大学教育学部900番教室)昭和8年(1933)目黒区駒場3内田祥三、清水幸重  
旧制第一高等学校書庫・閲覧室(東京大学駒場博物館)昭和10年(1935)目黒区駒場3内田祥三、清水幸重  
旧制第一高等学校特設高等科(東京大学教養学部101号館)昭和10年(1935)目黒区駒場3内田祥三、清水幸重  
旧制第一高等学校同窓会館(駒場ファカルティハウス)昭和12年(1937)目黒区駒場3内田祥三、清水幸重  
旧制第一高等学校駒場寮(東京大学駒場寮・駒場小劇場) 目黒区駒場3  1996〜2001年解体。学生が反対して話題になった
日本民藝館本館昭和11年(1936)目黒区駒場4-3-33  登録文化財
前田利為公爵邸昭和4年(1929)目黒区駒場4-3-55  1990年に改修。目黒区立駒場公園内
東京帝国大学航空研究所本館(13号館)昭和4年(1929)目黒区駒場4-6-1内田祥三、清水幸重  
東京帝国大学航空研究所風洞部研究室(1号館)昭和3(1928)目黒区駒場4-6-1内田祥三、清水幸重  
東京帝国大学航空研究所発動機部研究室(22号館)昭和5年(1930)目黒区駒場4-6-1内田祥三、清水幸重  
東京帝国大学航空研究所中央工場第1号館(工作工場)昭和4年(1929)目黒区駒場4-6-1内田祥三、清水幸重  
旧千代田生命本社(目黒区総合庁舎)昭和41年(1966)目黒区上目黒2-19-15村野藤吾  
旧 I 医院 目黒区洗足   
東京工業大学旧機械工学科実験工場?(地球史資料館)昭和11年(1936)目黒区大岡山2   
カトリック碑文谷教会(サレジオ教会)昭和29(1954)年目黒区碑文谷1-26  ロマネスク様式。有名人の結婚式で有名
品川区
旧島津邸(清泉女子大学)大正4年(1915)品川区東五反田   
五反田幼稚園 品川区東五反田   
タカセ 品川区東品川   
蒸気機関車 2850 2851 (西武鉄道 7) 品川区 東品川公園   
あぶりや連 品川区北品川2   
星野金物店 品川区北品川2   
旧原邸(原美術館)昭和13年(1938)品川区北品川4   
竹内外科 品川区南品川   
理髪ヤオ 品川区南品川   
日本ペイント工場明治記念館明治42年(1909)品川区南品川   
旧交番跡 品川区南品川1  旧東海道の目黒川(品川橋)南詰め交差点付近?
旧星商業学校(星薬科大学) 品川区荏原2-4-41アントニン・レーモンド  
東京都交通局旧目黒分駐所(都バス目黒車庫) 品川区上大崎3-1-2  建物はあるようだが、バス車庫としては使ってないらしい
カトリック目黒教会(聖アンセルモ教会)昭和30年(1955)品川区上大崎4-6-22アントニン・レーモンド  
東京都道首都高速1号線 品川区勝島2〜大田区羽田空港1  1964年8月2日完成。4.6km
船の科学館昭和49年(1974)品川区東八潮3-1  臨海副都心で最初に出来た建物。船の形をしている
DL DE10 30 (船の科学館) 品川区東八潮3-1  船の科学館「羊蹄丸」船内
中野区
小林サイクル 中野区中野3   
桃園町会 中野区中野3   
一本檜稲荷神社 中野区中野3  赤い三角屋根の非常に小さな社が建っている
蒸気機関車 C11 368   中野文化センター 中野区中野   
河井医院 中野区中央   
旧豊多摩監獄表門大正4年(1915)中野区新井3-37-2後藤慶二煉瓦造 
野方給水塔昭和3年(1928)中野区江古田1-3中島鋭治  
練馬区
武蔵大学3号館大正12年(1923)練馬区豊玉上1-26-1清水組RC3階 
武蔵大学講堂昭和3年(1928)練馬区豊玉上1-26-1佐藤功一RC2階 
啓志線跡 練馬区  現在の光が丘にあった米軍住宅グランドハイツ専用鉄道。田柄高校付近に啓志駅ホームの遺構があったらしいが、今は見られない。啓志というのはグランドハイツ責任者ケーシー少将の名から来ている
板橋区
旧第二陸軍造兵廠板橋製造所の一部(レンガパーク) 明治〜大正板橋区加賀   
愛誠病院明治29年(1896)板橋区加賀1-3   
東京都水道局大谷口給水塔昭和6年(1931)板橋区大谷口1-4中島鋭治 2005年に解体。高さ33mもあるドームの付いた巨大な塔で地域のランドマークでもあった
旧武蔵常盤台駅(現ときわ台駅)昭和10年(1930)板橋区常盤台1-43-1   
常盤台住宅地昭和10年(1930)板橋区常盤台1〜常盤台2   
帝都幼稚園大正時代?板橋区常盤台1-6-2   
戸田橋親柱昭和7年(1932)板橋区小豆沢3-3  3代目の橋の親柱。南側の親柱が板橋区の小豆沢公園にある(北側は埼玉県戸田市の戸田親水公園にある)
蒸気機関車 D51 513 城北交通公園  板橋区坂下2-19-1   
ベビーロコ号 城北交通公園 板橋区坂下2-19-1  有田鉄道から東武鉄道に譲渡され、後にときわ台駅前で展示していた小型機関車
杉並区
浴風会本館 杉並区高井戸西1-12-1  ロケ地として有名な建物
すぎなみ環境ネットワーク 杉並区阿佐ヶ谷北   
荻窪歯科診療所大正12〜13年(1923〜24)杉並区荻窪   
西郊ロッジング本館昭和6年(1931)頃杉並区荻窪3-38  新館の奥にある和風建築
西郊ロッジング新館昭和13年(1938)杉並区荻窪3-38  表現主義風のこの時代らしい建物
大田黒元雄邸(大田黒記念館)昭和8年(1933)杉並区荻窪3-33  大田黒公園内
庄司歯科医院大正14年(1925)杉並区西荻北   
吉田弓道場昭和4年(1929)杉並区西荻北   
玉の湯 杉並区西荻北3-32   
S邸大正12年(1923)杉並区西荻北   
ギャラリーMADO昭和13年(1938)杉並区西荻南3-5-13   
西荻デパート昭和12年(1937)杉並区西荻南3  デパートと言う名の商店
旧佐藤邸大正13年(1924)杉並区上荻末光績  
K邸昭和7年(1932)杉並区上荻中山克己 解体か
吉井歯科医院 杉並区上荻上荻1-23-4   
東京女子大学本館昭和6年(1931)杉並区善福寺2-6-1レーモンド 登録文化財
東京女子大学外人教師館昭和2年(1927)杉並区善福寺2-6-1レーモンド 登録有形文化財
東京女子大学安井記念館(キリスト教センター)大正14年(1925)杉並区善福寺2-6-1レーモンド 登録有形文化財
東京女子大学ライシャワー館(国際交流センター)昭和2年(1927)杉並区善福寺2-6-1レーモンド 明治学院教授で東京女子大創立にかかわったA.K.ライシャワー博士を記念したもの。登録有形文化財
東京女子大学旧寄宿舎(5号館) 杉並区善福寺2-6-1レーモンド 登録有形文化財。工事中???
東京女子大学チャペル及び講堂昭和13年(1938)杉並区善福寺2-6-1杉山雅則 登録文化財
東京女子大学6号館(東校舎)    登録有形文化財
東京女子大学7号館(西校舎)    登録有形文化財
日本通運 杉並区松庵   
カトリック下井草教会昭和31年(1956)杉並区井草2   
蒸気機関車 D51 254 杉並児童交通公園  杉並区成田西1-22-13   
東京山手急行電鉄遺構 杉並区和泉2  井の頭線明大前駅の手前(吉祥寺側)の玉川上水の下をくぐる部分のトンネルの左端に山手急行線用の分が用意されている
世田谷区
カトリック世田谷教会昭和21年(1946)世田谷区北沢1-45  戦後最初の教会
久富眼科 世田谷区北沢   
防衛省自衛隊中央病院(旧防衛庁東京中央病院)昭和30年(1955)世田谷区池尻1-2-24山田守  
蒸気機関車 D51 272 世田谷公園 世田谷区池尻1-5-27    
駒沢大学耕雲館(旧図書館)昭和3年(1928)世田谷区駒沢  都選定歴史建造物
旧林愛作邸(電通八星苑)大正6年(1917)世田谷区駒沢1-1   
駒沢給水所給水塔大正12年(1923)世田谷区弦巻2-41  独特のデザインを施したコンクリート製の大きな給水塔が2基
駒沢給水所第一ポンプ場大正13年(1924)世田谷区弦巻2-41   
駒沢給水所量水器室大正13年(1924)世田谷区弦巻2-41   
富士見丘教会昭和11年(1936)世田谷区代沢2-32-2  登録文化財
露崎商店昭和12年(1937)世田谷区代沢5-32-13   
静嘉堂文庫大正13年(1924)世田谷区岡本2-32  都選定歴史建造物・岡本静嘉堂緑地内
岩崎家玉川廟明治43年(1910)世田谷区岡本2-32  都選定歴史建造物・岡本静嘉堂緑地内
尾澤医院昭和7年(1932)世田谷区世田谷   
旧世田谷一郵便局昭和3年(1928)世田谷区世田谷1-25-8  改築??
長久保薬局明治末期世田谷区世田谷   
東急等々力駅昭和4年(1929)世田谷区等々力3  地下化工事に伴い解体予定
代田連絡線跡 世田谷区代田5  戦時下で車両輸送のために小田急線と井の頭線を結んだ臨時の連絡線。世田谷代田駅の上りホームの裏側にわずかに遺構がある。撤去の可能性あり
和田掘給水所 世田谷区大原2-30-43  代田橋駅のすぐそば。春の水道ふれあいお花見広場開催中に入れる
東京山手急行電鉄遺構 世田谷区梅丘1  小田急線梅ヶ丘駅の西側の広い道路と直交する部分にあるらしい
礼拝会修道院旧聖堂(カトリック喜多見教会) 世田谷区喜多見9-7-10   
成城学園昭和32年(1957)世田谷区成城6-1-20増沢洵  
成城大学新館昭和33年(1958)世田谷区成城6-1-20増沢洵  
青柳会館ビル昭和37年(1962)世田谷区成城6-5-28  3階
蒸気機関車 C57 57 大蔵運動公園  世田谷区大蔵4-6-1  公園は昭和37年建設
武蔵野市
旧麻布区役所(日本獣医科大学本館)明治42年(1909)武蔵野市境南町1-7-1ヴォ−リズ木造2階キャンパスの入口付近に建つレトロチックな建物。昭和10年頃、区役所改装の際に大学側が購入して移築されたと言う
M邸 武蔵野市吉祥寺東町1   
旧駒形邸(巴里院)昭和12年(1937)武蔵野市吉祥寺東町2-2-2駒形裕弘  
旧矢田部勁吉邸昭和3年(1928)武蔵野市吉祥寺東町4-16遠藤新  
T邸昭和2〜3年頃(1927〜28)武蔵野市吉祥寺北町1   
成蹊大学本館大正13年(1924)ころ武蔵野市吉祥寺北町3-3-1桜井小太郎 アスベスト除去解体工事中→再建するのか不明
成蹊大学1号館大正13年(1924)ころ武蔵野市吉祥寺北町3-3-1  2004年解体
成蹊大学旧屋内運動場(トラスコンガーデン)昭和3年(1928)武蔵野市吉祥寺北町3-3-1  トラスコンは旧通称(建材をトラスコンスチール社から輸入した(トラスコン社工場を移築した)ので)
旧A邸昭和9年(1934)武蔵野市吉祥寺本町   
O邸 武蔵野市吉祥寺本町3-19   
ノートルダム修道院昭和初期武蔵野市吉祥寺本町アントニン・レーモンド  
いせや本店 武蔵野市御殿山1-2-1  焼き鳥屋
北村西望アトリエ昭和28年(1953)武蔵野市御殿山1-17-6  井の頭自然文化園内
三鷹市
旧S邸(スペースS)昭和16年(1941)頃三鷹市下連雀1-20-3  現在はギャラリー
旧山本有三邸(山本有三記念館)大正15年(1926)三鷹市下連雀2-12-27 木造2階貿易商・清田龍之介別邸。昭和11年から昭和21年まで山本有三が居住
森聖ビル 三鷹市下連雀3-36-11   
三鷹橋 三鷹市下連雀3〜武蔵野市御殿山2  改修
安藤家住宅昭和16年(1941)三鷹市井の頭3-24-1 木造平屋登録文化財
渡辺家住宅昭和15年(1940)三鷹市井の頭3-24-7 木造平屋登録文化財
淡島家住宅昭和10年(1935)三鷹市井の頭4-23-11 木造2階登録文化財。ハーフティンバー様式
牟礼橋昭和8年(1933)三鷹市牟礼1〜三鷹市井の頭1 石造り玉川上水
国立天文台三鷹キャンパス
見学は、少人数であれば、事前申請なしで、見学できる。年に一回、職員の説明付きの特別見学コースも開催されるが、施設によっては普段でも説明してくれることがある
第一赤道儀室大正10年(1921)三鷹市大沢2-21-1東京帝国大学営繕課RCドーム登録文化財
大赤道儀室昭和4年(1929)三鷹市大沢2-21-1東京帝国大学営繕課RC+木製ドーム静態保存
太陽分光写真儀室(アインシュタイン塔)昭和5年(1930)三鷹市大沢2-21-1東京帝国大学営繕課RC5階登録文化財。ドイツのポツダム天体物理観測所(アインシュタイン塔)と観測構造が同じため、こう呼ばれる。外観のみ見学可
旧図書庫昭和5年(1930)三鷹市大沢2-21-1  スクラッチタイル。外観のみ見学可
レプソルド子午儀室明治13年(1880):子午儀大正14年(1925):観測室三鷹市大沢2-21-1  入り口まで見学可。装置展示室になっている
ゴーチェ子午環・観測室明治36年(1903):子午環大正13年(1924):観測室三鷹市大沢2-21-1 ドーム子午環は最新機能を追加して、21世紀に入るまで現役だった
国立天文台職員宿舎大正4年(1915)三鷹市大沢2-21-1 木造「絵本の家」に改装して保存予定
旧中島飛行機三鷹研究所(国際基督教大学本館)昭和16年(1941)頃三鷹市大沢3-10  2003年に補修
旧中島知久平別邸(国際基督教大学泰山荘) 三鷹市大沢3-10  登録文化財。元は山田敬亮の別荘で、中島が晩年を過ごした場所
防空高射砲台跡 三鷹市大沢4-8-8  保育園の園内にあるので見学は園の許可が必要
防空高射砲台跡 三鷹市大沢4  特養老人ホーム内にあったが消滅
調布飛行場正門門柱 三鷹市大沢5  片方の門柱のみ東京調布飛行場と彫られているが、京の字が東とも亰ともつかぬ字になっている。保存のために移設したので、飛行場からやや離れたところにある
旧陸軍調布飛行場大沢1号掩体壕 三鷹市大沢6  現存する4基のうちのひとつ。調布飛行場の北東、武蔵野の森公園内に保存。搬入口は塞がれて、飛燕の絵が描いてある
旧陸軍調布飛行場大沢2号掩体壕 三鷹市大沢6  現存する4基のうちのひとつ。調布飛行場の北北東側、1号のやや北の武蔵野の森公園内に、かなり元の状態のままで保存されている
調布市
和光堂東京工場昭和7年(1932)調布市若葉町2-2和光堂営繕課 2006年頃解体
和光堂施設内洋館 調布市若葉町2-2  こちらも解体?
真木家住宅洋館・日本館明治43年(1910)調布市上石原2  登録文化財
西東京市
東京大学農学部農場昭和5年(1930)西東京市緑町1東京帝国大学営繕課  
田無神社参集殿昭和10年(1935)西東京市田無町3-7-4 木造平屋登録文化財
狛江市
カトリック喜多見教会旧聖堂1928(昭和3)年狛江市岩戸北1  イタリアローマ郊外のサン・カリスト教会をモデルにした。小田急の利光鶴松が娘のために建立。教会はその後、借地ゆえに維持困難となり、礼拝会修道院へ移転
小平市
がす資料館ガス灯館明治42年(1909)小平市大沼町2-590  都選定歴史的建造物。本郷にあった営業所の建物を大正時代の図面を元に移築復元
がす資料館くらし館明治45年(1912)小平市大沼町2-590  都選定歴史的建造物。千住にあった工場の建物を移築復元
旧女子英学塾(津田塾大学本館)昭和6年(1931)小平市津田町2-1佐藤功一 都選定歴史的建造物
久右衛門橋 小平市津田町1・2〜上水本町1・2  玉川上水
旧小平小川郵便局明治41年(1908)小平市天神町2-57 和風小平ふるさと村内
橋本義一別邸(日立国際電気武蔵野荘)昭和14年(1939)小平市回田町 近代和風 
東久留米市
自由学園女子部食堂昭和9年(1934)東久留米市学園遠藤新 都選定歴史的建造物
小金井市
新小金井駅大正6年(1917)小金井市東町4  部分的に改修されてる様。珍しく跨線橋がなく構内踏切が残っている
武蔵小金井駅大正15年(1926)小金井市本町6  高架工事に伴い駅を改築するため、取り壊し予定(完成予想図では大きなロータリーになるようだ)
浴恩館(小金井市文化財センター)昭和3年(1928)小金井市緑町3-2-37  元は、昭和3年に京都で行われた御大典の際の神官の更衣所で、移築後に、日本青年館の青年団指導者養成所として使われたもの
浴恩館公園施設 小金井市緑町3-2-37  浴恩館公園の何の施設かわからないが古い大きな木造家屋
空林荘昭和3年(1928)ころ小金井市緑町3-2-37  浴恩館公園にある浴恩館指導者の宿舎として使われた家屋
滄浪泉園大正初期小金井市貫井南町3-2  波多野承五郎の別邸及び庭園で、犬養毅命名。元々は慶長年間に建てられた日野の名主の邸宅を移築したものだが、母屋は取り壊されている
中村研一記念美術館茶室花侵庵 小金井市中町1-11-18佐藤秀三  
TERAKOYA 昭和初期頃小金井市前原町3-33-32  洋館。フレンチレストランとして使用
小金井橋 小金井市桜町1・2〜小金井市桜町3・小平市御幸町  新しく改築中
蒸気機関車 C57 186 都立小金井公園 小金井市関野町1-13-1   
−−江戸東京たてもの園−−
東京の古い建築物を保存する目的で、小金井市にあった武蔵野郷土館(やはり旧家を保存していた公園)を拡大改築して作られた野外博物館。近代建築を保存している貴重な施設で、明治村と同様のものだが、明治村が全国の洋館や公共建築物などを主体とするのに対し、こちらは東京の民家や商店などが中心。貴重な建築物が多い。東京都の財団が運営しており、江戸東京博物館の分館に当たる
   川野商店(和傘問屋)大正15年(1926)旧所在地・江戸川区南小岩 木造2階 
   子宝湯(銭湯)昭和4年(1929)旧所在地・足立区千住元町 木造 
   植村邸昭和2年(1927)旧所在地・中央区新富 木造2階銅板板建築 
   鍵屋(居酒屋)安政3年(1856)旧所在地・台東区下谷 木造2階 
   村上精華堂昭和3年(1928)旧所在地・台東区池之端2-7-15 木造石造3階 
   旧下谷消防署望楼上部大正14年(1925)旧所在地・台東区  望楼の上部7m分
   旧光華殿昭和15年(1940)旧所在地・千代田区千代田 木造2階皇紀2600年式典用に作られ翌年小金井公園に移築したもの
   皇居正門石橋旧飾電燈明治21年頃?旧所在地・千代田区千代田   
   午 砲 旧所在地・千代田区千代田  正午を知らせる空砲を撃っていた大砲
   万世橋交番明治後期旧所在地・千代田区神田須田町 RC 
   丸二商店(荒物屋)昭和初期旧所在地・千代田区神田神保町 木造2階 
   花市生花店昭和2年(1927)旧所在地・千代田区神田淡路町 木造3階看板建築 
   武居三省堂(文具店)昭和2年(1927)旧所在地・千代田区神田須田町 木造3階看板建築 
   田園調布大川邸大正14年(1925)旧所在地・大田区田園調布 木造 
   前川國男邸昭和17年(1942)旧所在地・品川区上大崎 木造 
   天明家(農家)江戸後期旧所在地・大田区鵜ノ木 木造茅葺 
   小出邸大正14年(1925)旧所在地・文京区西片 木造2階 
   仕立屋明治12年(1879)旧所在地・文京区向丘 木造2階 
   三井八郎右衛門邸昭和27年(1952)旧所在地・港区西麻布3-4 木造2階 
   高橋是清邸明治35年(1902)旧所在地・港区赤坂 木造2階 
   宇和島伊達家の門大正11年(1922)旧所在地・港区白金 木造 
   小寺醤油店昭和8年(1933)旧所在地・港区白金 木造2階 
   旧自証院霊屋慶安5年(1652)旧所在地・新宿区市ヶ谷富久町 木造 
   常盤台写真場昭和12年(1937)旧所在地・板橋区常盤台 木造2階 
   会水庵大正期旧所在地・杉並区西荻北5 木造山岸宗住が立てた茶室を宇野信夫が西荻に移転したもの
   綱島家(農家)江戸中期旧所在地・世田谷区岡本 木造茅葺 
   吉野家(農家)江戸後期旧所在地・三鷹市野崎 木造茅葺 
   西川家別邸大正11年(1922)旧所在地・昭島市中神町 木造 
   八王子千人同心組頭の家江戸後期旧所在地・八王子市追分町 木造茅葺 
   八王子の穀蔵     
   奄美の高倉江戸後期旧所在地・鹿児島県大島郡宇検村 木造茅葺 
   都電7500形昭和37年(1962)   青山営業所管内でのみ使用した車両
   方砂遺跡敷石住居址縄文時代    
府中市
関戸橋昭和12年府中市住吉町5〜多摩市関戸   
旧東京高等農林学校本館(東京農工大学本館・講堂) 昭和9年(1934)府中市幸町3-5-8東京大学営繕課  国登録文化財
旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕 府中市白糸台2  現存する4基のうちのひとつ。比較的状態がよい
旧陸軍調布飛行場朝日町掩体壕 府中市朝日町1-2  現存する4基のうちのひとつ。工場敷地なので近づけない
EL EB10 1 府中市交通公園 府中市矢崎町5-5   
蒸気機関車 D51 296 府中市交通公園 府中市矢崎町5-5   
EL ED76 1004 東芝府中工場 府中市東芝町  プレートはED76 1048となっている
−−府中郷土の森博物館−−     
   旧府中町立尋常小学校昭和10年(1935) 旧所在地・府中市寿町 木造2階復元
   旧府中町役場大正10年(1921)旧所在地・府中市宮西町 木造2階復元
   旧矢島家(旧府中郵便取扱所)江戸末期旧所在地・府中市宮西町 木造2階復元・明治5年(1872)から22年まで府中郵便取扱所(郵便局)として使われた矢島家の居宅の一部
   旧田中家住宅江戸時代旧所在地・府中市宮町 木造復元・江戸時代に甲州街道・府中宿の新宿にあった大店を復元
   旧島田家住宅明治21年(1888)旧所在地・府中市宮町 蔵造復元
   旧河内家住宅江戸時代旧所在地・府中市若松町 茅葺復元
   旧越智家住宅江戸時代旧所在地・府中市南町 茅葺復元
   旧三岡家長屋門文政12年(1829)旧所在地・府中市是政 木造復元
   水車小屋−参考物件復元    
国分寺市
DL DD13 232 鉄道総合技術研究所 国分寺市光町   
DL DD13 234 鉄道総合技術研究所 国分寺市光町   
DL DD16 7 鉄道総合技術研究所 国分寺市光町   
旧江口家・岩崎家別邸(殿ヶ谷戸庭園管理所)大正2年(1913)国分寺市南町2-16 木造 
下河原線跡大正9〜昭和48年(1920〜1973)国分寺市南町3〜国分寺市泉町1  国分寺から府中競馬場方向へ延びていた路線。最近まで国分寺駅の西、中央線下り線横にレールが若干残っていた
国立市
JR国立駅大正15年(1926)国立市北1河野 某木造中央線の駅が作られた際、国分寺と立川の一字を取って駅名とし、同時に作られた駅舎で、事実上現在の「国立」市発祥の建物。大きな三角屋根がシンボルだった。高架工事に伴い解体。保存の是非をめぐって市議会で政争の具になった。資材は保管されているらしいので、高架完成後に再建の可能性もある
旧野島邸(ル・ヴァン・ド・ヴェール)昭和2年(1927) 国立市中1-16-35  現在はフレンチレストラン
一橋大学兼松講堂昭和2年(1927) 国立市中2-1伊東忠太RC2階有形文化財
一橋大学付属図書館昭和5年(1930)国立市中2-1文部省営繕課RC3階 
一橋大学本館昭和5年(1930)国立市中2-1文部省営繕課RC3階別館含む
一橋大学東本館昭和4年(1929)国立市中2-1文部省営繕課RC2階有形文化財
一橋大学旧守衛所(消防器具置場)昭和5年(1930)国立市中2-1 木造 
一橋大学職員集会所昭和初期国立市中2-1 木造 
滝乃川学園本館昭和3年(1928)国立市谷保  登録文化財
滝乃川学園聖三一礼拝堂 国立市谷保  市の文化財。他に石井筆子が愛用した日本最古の輸入ピアノ(天使のピアノ)が現存している
府中用水取水樋門明治33年(1900)国立市青柳   
東村山市
明治学院ライシャワー記念館 明治東村山市富士見町1-12  1965年に白金台の明治学院から移転
多磨全生園山吹舎 東村山市青葉町 木造平屋ハンセン病療養所の寮
中橋明治42年(1909)東村山市恩多町3 煉瓦造野火止用水という小さな川に架かる橋
蒸気機関車 D51 684 東村山市運動公園  東村山市恩田町1-51-1   
東大和市
日立航空機変電所跡昭和13年(1938)?東大和市桜ヶ丘2-167  戦時中の弾痕が生々しい建物が一棟と給水塔の基礎部分が保存されている。東大和南公園内
村山上貯水池取水塔大正13年(1924)東大和市多摩湖4   
村山下貯水池取水塔大正15年(1926)東大和市多摩湖6   
村山貯水池余水吐昭和2年(1927)東大和市多摩湖  堤から水が溢れないよう調整する段状の放水路
武蔵村山市
村山織物協同組合昭和3年(1928)武蔵村山市本町2-1  市指定文化財
立川市
立川銀座魚屋さん 立川市曙町2-2付近  蔵がある
立川銀座看板建築 立川市曙町2-2付近  魚屋の隣
立川銀座雑居ビル 立川市曙町2-2付近  通り側に面したビル
立川銀座線路際の看板建築風 立川市曙町2-2付近  自転車置き場・地下道の入口付近にある空き家
獣医資材廠線・立川飛行機引込線 立川市曙町3〜  国立北三丁目アパート付近に残っていたが、その後ほぼ消滅
野菜市場跡? 立川市曙町3-8  立川駅の東方に現存しているが資材置き場のようになっている
第一デパート昭和41年(1966)立川市曙町2-2-25  漫画、模型などマニアックなものがおいてある有名デパート。解体され平成24年頃に高層ビルへ
フロム中武昭和37年(1962)立川市曙町2-11-2  第一デパートと並ぶマニア品デパートで、外壁コピーも有名
菊屋ビル裏の古い事務所建築風 立川市曙町2-9  2階建て
中央線多摩川橋梁明治22年(1889)立川市富士見町7・柴崎5〜日野市栄町1・日野本町5 煉瓦造(橋脚) 
五日市鉄道跡 立川市柴崎町2〜富士見町5付近  線路の一部は青梅短絡線として現在も使用。武蔵上ノ原駅のあった場所がわずかに空き地として確認でき、鉄道柵や建物の基礎のようなものが若干残っている
日通 立川市富士見町2-10付近   
「航空支庁西門」踏み切り 立川市富士見町1-24付近  青梅線・青梅短絡線が西立川駅へ入るところの踏切。ヤマダ電機側に踏み切り名が残る。旧陸軍立川基地の名残。近くにSL看板が残っている
「航空支庁」踏み切り 立川市富士見町1-13付近  青梅線。山種倉庫そばの踏み切り。旧陸軍立川基地の名残
暁橋昭和29年(1954)立川市曙町3-5付近  小さな橋。川は埋め立てられて駐車場になっている
ぎょうせいデジタル 立川市曙町3-18付近  工場?
昭島市
東中神駅昭和17年(1942)?昭島市玉川町1  都市部では珍しくなった木造平屋の駅舎。駅ホームの柱に昭和5年の、改札部分にも昭和25年頃の財産標がある。
陸軍航空工廠跡 昭島市築地町、中神町、立川市泉町  昭和記念公園から建物と煙突3本が見られる。西側の住宅街に記念碑がある。刑務所へ再開発の計画あり
航空工廠引込み線(西立川) 昭島市東町  西立川駅の西側から塀の中に続く線路と塀の向こう側に小さなホームが見える
蒸気機関車 D51-451 昭島市東町5  運転席などに入れるようになっている。国営ではなく市立の昭和公園に置いてある
航空工廠引込み線(中神) 昭島市中神町  住宅地の中をカーブを描いて続いていたが、すべて撤去。ただし道路の形や道路名で名残がある
昭和飛行機引込線? 昭島市田中町  最近まで昭島駅構内に少しだけ残っていたが、消滅
昭和飛行機工業 事務棟昭和13年(1938)頃昭島市田中町  昭島駅近く。
昭和飛行機工業昭島工場。格納庫?昭和13年(1938)頃昭島市拝島町  正門右手。フォレストインにいく途中に見える。生垣があるので撮りにくい
昭和飛行機工業昭島工場、三角屋根工場群昭和13年(1938)頃昭島市拝島町  かなり大規模に残っている
昭和飛行機工業昭島工場、換気口のある建物昭和13年(1938)頃昭島市拝島町  道沿い
五日市鉄道大神駅 昭島市大神町1  復元ホームなどがある。他に武蔵田中駅跡にポケットパークがある。ただ、元のホームを復元したのではなく、シンボライズ的なもの
0系新幹線 昭島市つつじヶ丘3  つつじヶ丘公園の端においてある。児童図書館として利用
五日市鉄道・八高線立体交差跡 昭島市大神町1〜宮沢町2  平成15年頃に整備されてなくなっている
啓明学園北泉寮 昭島市拝島町5-11  登録文化財
八高線多摩川橋梁昭和6年(1931)昭島市宮沢町3・大神町4〜八王子市小宮町・平町  単線。石造りの橋脚
八高線列車事故車両車輪 昭島市宮沢町3  1945年8月の多摩川橋梁上で起こった列車衝突事故により川へ放棄された車両の車輪が展示してあるポケットパーク。車輪は多摩川中洲の段丘上の草むらの中から発見され、2003年に川そばに小さな公園を作り、そこに移した
日野市
日野駅昭和11年(1936)日野市大坂上1伊藤滋  
    日野駅の近く
多摩市
旧多摩聖蹟記念館昭和5年(1930)多摩市連光寺5-1-1関根要太郎 市指定文化財
八王子市
東浅川仮停車場(東浅川駅・のち陵南会館)昭和2年(1927)   多摩御陵参拝用皇室専用駅。駅は1960年まで使用。駅舎は陵南会館となったのち1990年に左翼過激派の放火で焼失。新駅要望がある
Coffee Bricks大正7年(1918)八王子市片倉町2434 煉瓦造元は米蔵で、喫茶店に改装
京王御陵線跡 八王子市長房町?  住宅地に橋脚が二つ残っている
南浅川橋昭和11年(1936)八王子市長房町〜東浅川町  大正天皇陵造営(昭和2年)の際に木橋として作られ、その後現在の橋となった。コンクリートラーメン構造
高尾駅北口駅舎昭和2年(1927)八王子市高尾町黒河内四郎ほか 大正天皇大葬の際に建てられた大喪列車始発用の新宿御苑内仮駅舎を移築したもの。JRや八王子市が建替えを計画中
高尾駅2番線ホーム 八王子市高尾町  屋根支柱に、戦時中の米軍機による機銃掃射の弾痕が残っている
湯の花トンネル 八王子市裏高尾町 煉瓦造昭和20年8月5日の列車機銃掃射事件の現場
小峰隧道(小峰トンネル)大正年間八王子市上川町〜あきる野市高尾 煉瓦造小峰峠をくぐるトンネル。幽霊が出るとうわさ
第二浅川橋梁明治34年(1901)八王子市 煉瓦造アーチ橋
元本郷浄水場ポンプ施設昭和3年(1928)八王子市元本郷町4   
長池見附橋大正2年(1913):四谷架橋八王子市別所2  四谷にあった四谷見附橋を移転復元
大学セミナーハウス昭和40年(1965)八王子市下柚木1987-1吉阪隆正RC造・一部木造地上4階・地下1階 
町田市
蒸気機関車 D51 86 さるびあ図書館敷地内 町田市中町2-13-23   
羽村市
羽村取水所明治33年〜羽村市羽東3−8−32  第一〜第三水門
蒸気機関車 C58 395  羽村市立動物公園 羽村市羽4122   
あきる野市
小机家住宅明治8年(1875)あきる野市三内  都指定文化財
五日市線支線跡 あきる野市館谷台  武蔵五日市駅付近にわずかに遺構がある
東秋留橋昭和14年(1939)あきる野市雨間  秋川に架かる橋。そばに新橋を建設中なので、解体のうわさあり。6径間のアーチ橋
日の出町
武蔵岩井駅跡 日の出町大久野  五日市線の大久野支線の終点。太平洋セメント近くの岩井橋の西詰付近
志茂家書院 日の出町大久野   
旧郵便局(おおぷなあ)昭和初期?日の出町大久野1177   
檜原村
旧桧原郵便局舎(木工房 森のささやき)昭和4年(1929)檜原村5555  払沢の滝入口。元は檜原村上元郷にあった
青梅市
旧青梅鉄道本社(青梅駅舎)大正13年(1924)頃青梅市本町  一色に塗り替えられたので平凡な感じになっているが、以前は二色塗りでレトロなビルだった
青梅駅ホームの青梅想ひ出そば    木造山小屋風。古い建材を利用してわざと古く見せてるのだろうか。また食券券売機は年季が入っていた
青梅駅ホームの休憩所    そばやと同じ木造山小屋風。板壁はかなり古いが、古い建材を利用したものかもしれない
青梅駅構内の建物    青梅電車区時代の建物か。ホームから山側の線路向こう側
青梅駅構内の青い木造2階建て    ホームの奥多摩側のそばにある建物で、駅の施設かどうかは不明。かなり年季が入っていて壊れかけている
青梅鉄道公園 青梅市勝沼2-155  鉄道車両を保存
   蒸気機関車110型3号機関車 青梅市勝沼   
   蒸気機関車 2120 2221 青梅市勝沼   
   蒸気機関車 C11 1 青梅市勝沼   
   蒸気機関車 5500 5540 (D6)  青梅市勝沼   
   蒸気機関車 8620  青梅市勝沼   
   蒸気機関車 9600 9608 青梅市勝沼   
   蒸気機関車 C51 5 青梅市勝沼   
   蒸気機関車 D51 452 青梅市勝沼   
   蒸気機関車 E10 2 青梅市勝沼   
   EL ED16 1 青梅市勝沼   
昭和レトロ商品博物館 青梅市住江町65  古い商家
赤塚不二夫記念館 青梅市住江町66  古い商家を改装
昭和幻燈館 青梅市住江町  古い商家。半分は商店。レトロ商品館の向かい。あまり古い感じはしない
英稲荷神社裏の民家 青梅市仲町  神社の横から見えるが、一部しか撮れない
角の木造民家 青梅市仲町  青梅中央図書館へ行く道と駅からの裏通りの交差点角
駅前の看板建築 青梅市仲町  やおうめと言う店の隣
和幸ビル 青梅市仲町  駅前からキネマどおりに出るところの右側のビル
ヘアーサロンよしざわ 青梅市本町  キネマ通りのお店
赤屋根の木造建築 青梅市本町  昭和レトロ通り(?)にある。キネマ通りの一本奥にある通り
青梅中央ビル 青梅市仲町  駅前の商業ビル。昭和40年代くらい??
福島学園ビル 青梅市本町  駅前からキネマどおりに出るところの左側のビル
洋館付き住宅 青梅市西分町   
洋館付き住宅 青梅市西分町   
勝沼公会堂 青梅市勝沼3  乗願寺のそば。新しく見えたが、建物自体は昔からあるらしい。全体のデザインは昔のままで壁を修復したような感じに見える
旧野村家(吉川英治記念館)明治中期頃青梅市柚木町1-101-1  吉川は昭和19年から28年まで住んでいた
調布橋昭和10年(1935)青梅市千ヶ瀬町5〜長淵7  平成5年に新橋に架け替え
万年橋昭和18年(1943)青梅市大柳町〜畑中1  元の鉄橋は明治40年架設。新橋建設で平成15年解体
日向和田浄水場昭和3年(1928)青梅市日向和田2   
日向和田隧道大正3年(1914)青梅市日向和田2〜3 煉瓦造青梅線
旧吹上隧道明治37年青梅市黒沢2〜成木3 煉瓦造新吹上トンネルの手前、吹上隧道(旧トンネル)のさらに手前の山道を進んだ先にある小さいトンネル
吹上隧道(旧吹上トンネル)昭和28年(1953)青梅市黒沢2〜成木3  新吹上トンネルの手前から分岐した先にある旧トンネル
奥多摩橋昭和14年(1939)青梅市二俣尾3・4〜柚木町1・2  上路式鋼アーチ橋
奥沢橋梁昭和4年(1929)   青梅線。珍しい鋼鉄トレッスル橋
小高邸明治末期青梅市御岳町 洋風御岳参詣信者用の御師住宅?
馬場家御師住宅慶応2年(1866)青梅市御岳町  都指定文化財
奥多摩町
大丹波川橋梁昭和19年(1944)奥多摩町川井 コンクリートコンクリートアーチ橋
旧氷川駅舎(奥多摩駅)昭和19年(1944)奥多摩町氷川   
東京都水道局小河内線昭和27年(1952)   小河内貯水池の建設資材運搬用の専用鉄道
八丈町
旧八丈支庁庁舎(八丈島歴史民俗資料館)昭和14年(1939)八丈町大賀郷  登録文化財
小笠原村
旧母島砂糖収納庫(旧母島簡易郵便局・ロース記念館)大正2年(1913)小笠原村母島元地  都指定民俗文化財。母島産出のロース石で出来ている